第6章 ★世界で一番好きな人/笹谷武仁
「…分かった」
「サンキューな。…あ、タケ」
「何、兄貴」
兄貴はどこか言いづらそうに、俺から目をそらす。
何を言おうとしているのか気になった俺の眉が中央に寄ったところで、兄貴はようやく覚悟を決めたように口を開いた。
「あー…その。避妊はちゃんとしろよ?」
兄貴の言葉に、一瞬目を丸くした俺だったが、すぐに冷ややかな目で兄貴を睨み付けた。
「言われなくても」
すれ違いざまに鞄が兄貴の体にぶつかったが、俺は気にせず2階の自室へと向かった。
「…ったく、お前が言うなっつーの…」
兄貴の言葉に苛立ちを感じて、鞄を乱暴に床に放り投げた。
兄貴からしたら、軽い冗談のつもりだったのかもしれない。
あるいは、不在の両親に代わって、弟に釘を刺したかったのかもしれない。
しかしそのどちらにしても、俺の神経を逆なですることに変わりなかった。
それに、俺が兄貴に腹を立てたのはもう1つ大きな理由があった。
「大体、自分はしなかったくせに」
―俺は、兄貴とさんの情事の現場を、目撃したことがあった。
それはもちろん、さんが俺と付き合う前―つまり、さんが兄貴の彼女だった時の話だ。
偶然目にしてしまったその現場で、兄貴はあろうことか、避妊具の使用を拒んだのである。
その時俺は、我が兄ながら情けない、と思った。
それと同時に、しきりに不安そうな顔で行為を拒むさんの姿に胸が締め付けられた。
結局はさんも避妊具無しの行為で果ててしまったが、その光景を見ていた俺は固く心に誓った。
―自分はあんな風な不安な顔をさんにはさせない、と。
俺はその決意を新たにして、引き出しにしまってあった避妊具をいくつか掴んで、さんの部屋に泊まるセットが入れてあるバッグに忍ばせた。
音が響くのも気にせずに足早に階段を降りて行くと、いまだ寝ぼけまなこの兄貴があくびをしながら俺にひらひらと手を振る。
「タケ、気をつけてな。によろしく言っといて」
「……行ってくる」
振り返りもせずに出て行った弟に、兄は何か思っただろうか。あくびをひとつして、自室へと戻って行く姿を思えば、何にも考えてないように思えた。