第16章 愛の言葉を聞かせて/天童覚
私はちゃんと、自分の足で立って彼の帰りを待っていられるだろうか。拠り所のないぐらついた気持ちを、自分で支えていけるだろうか。
じわ、と目の端が滲む。
「ちゃん、ひとつだけお願いがあるんだけど」
覚くんがこちらへ一歩踏み出す。
「笑って、見送って」
ここにきてこの人はどうしてこんな無理難題をぶつけてくるんだろう。
もうすでに私の目には涙が溜まり始めているのに。
必死で涙がこぼれないように息を吸って、分かった、と声を絞り出す。
何も今生の別れじゃない。
また1年後には帰って来る。
頭で何度もそう繰り返す。
──そんなの、分かってる。
また会えるって分かってるけど。
それでも、会えなくなるのは、寂しい。
笑顔をつくったはずだった。
笑って「行ってらっしゃい」って言うつもりだった。
けれど口を開いて出てきたのは嗚咽で、顔はぐしゃぐしゃに濡れていた。
覚くんは何も言わなかった。
代わりに力強く抱きしめてくれた。
しばらくぎゅっとしてくれた後、少しだけ腕の力が緩んだ。
「…今はね、無料でビデオ通話出来ちゃうし、メールだってラインだってなんだってあるでしょ」
──だから、そんなに寂しがらないで。
覚くんならきっとそう言うだろう。
そう思っていたのに、続く言葉は思ってもみない言葉だった。
「……だけど、やっぱり離れるのって寂しいね」
震える声音に顔を上げれば、覚くんの目の端が赤くなっていた。
口元は相変わらずいつものように上がっているのに、もう今にも泣きそうな目をしている。
『──言うと、寂しくなるから』
土曜日の朝、覚くんが呟いたあの言葉は。
もしかしたら私に向けてじゃなくて、自分に向けて呟いたものだったのかもしれない。
離れて寂しいと思うのは、私だけじゃない。
誰よりも寂しいと思っているのは、もしかしたら、覚くんなのかもしれない。
「覚、くん」
ごめんね。
貴方の寂しさに気付けないで。
自分のことばかりでごめんね。
覚くんも必死で寂しさを誤魔化していたことに、気付けないでごめんね。
今度は私がぎゅっと抱きしめ返す。
力なく項垂れて目の前にまで降りてきた覚くんの頭を、小さな子供をあやすみたいに、撫で続ける。
「──本当はさ、怖いんだよ。たった1年だけど、離れるのが怖い」