
第3章 超局地的寒気団、襲来。

普段は憎まれ口しか叩かない弟弟子の「腹減った」という力無い呟きを耳にしたヴィクトルは、タクシー乗り場に直行しようとしていた所を引き返し、空港内のレストラン街へ移動した。
自分の事で頭がいっぱいになっていて、半ば強引に巻き込んだユーリが、まだ未成年の子供であるのをうっかり失念していたのだ。
「カツ丼でも食べるかい?」という問いに「それはあいつの所で食うからいい」と返されたので、適当なカフェで休憩を取る事にする。
窓越しに見える日本の冬空は、どんよりとした雪雲に覆われていて、それが今の自分の心境と同じようにも感じた。
(まるで、初めて長谷津に来た時のようだ)
あの時は、競技へのモチベーションを失っていた自分の心を鷲掴みにした勇利に会いたいという純粋な想いだけだったが、今はその想いが複雑なものへと変化していた。
今の自分にとって、勇利はもうただの『可愛い教え子』『同じ競技をするライバル』ではない事。
そして、自分以外にスケーター勝生勇利の能力を引き出した存在が現れ、更にその人物が自分が勇利と知り合うずっと前から彼の傍にいたという事実が、ヴィクトルの心を無性にざわつかせていたのである。
(スケーターの勇利も、人間として…『男』としての勇利も、全部俺のものだ。あのGPFの夜、俺が勇利のものになったのと同じように)
ジャパンナショナルのEXで見せつけられた「この勝生勇利の魅力を引き出したのは、お前じゃない」という、相手からの挑発とも取れるメッセージをどうしても無視出来なくなったヴィクトルは、気が付くと日本へ向かうべくチケットの予約や支度を始めていた。
来月には早々にユーロ選手権が控えていたが、今のヴィクトルにはそれよりも先に確かめる必要があったからだ。
かつてジュニア時代、一度だけ負けた事があるという親友のクリストフ・ジャコメッティから「アイスドール」と評された、自分と全く違う容姿の黒髪の青年と勇利が、どのような関係であるのかを。
やがて少し落ち着きを取り戻したらしきユーリを連れて、ヴィクトルが再度タクシー乗り場へ向かうと、雪は先程より勢いを増していた。
到着した車に荷物を詰め込み後部座席をユーリに譲ると、ヴィクトルは助手席から運転手に行き先を告げる。
早くも寝息を立て始めたユーリを余所に、ヴィクトルはネットで流れてきた勇利と青年の新たな画像に、眉を逆立てていた。
