第17章 メガネの向こう側
諦めて帰ろうかと思ったが、最後に櫻井と多くの時間を過ごした美術室にもう一度寄って帰ろうと、静まり返った廊下を歩いた。
開け放たれたドアから教室のなかを覗くと、いつもの場所で、椅子に座る櫻井の後ろ姿が見えた。
眼鏡が外されたその視線は、外ではなく、俺が絵を描く時の定位置に向けられていた。
静かに近付き呼び掛ける。
「…先生」
部屋の中に俺の声が響いた。
ビクッと肩を揺らし、櫻井がゆっくりとこちらを振り返る。
「なんで、お前…帰ったんじゃないのか?」
櫻井は目を見開き、驚きの表情をした。
「なんで?先生に会わずに帰るわけないじゃん。
ねぇ、先生はここで何をしてたの?」
「別に何も…疲れたから、少し休んでただけだ…」
俺から視線を逸らし、椅子から立ち上がった。
椅子を持ち、元の場所に戻すと、入り口の方へ向かって歩いていく。
俺の前を通り過ぎようとした時、その腕を掴んだ。
「先生、眼鏡して?何度言わせるの?」
「そんなこと、お前に言われる筋合いない」
前を向いたまま、俺の方を見ようともしない。
でもその頬は、うっすらとピンクに染まってるんだ。
「先生ってほんと頑固だよね?」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ…大体そう思うなら、俺なんか相手にしなきゃいいだろ」
「別に頑固なのが悪いとは言ってないだろ?そこも含めて俺の好きな先生なんだし」
「お、まえ…まだそんなこと…」
櫻井は顔を紅く染め、俺の顔を見る。
「俺、諦めないよ?」
掴んだままの櫻井の腕を引き、抱き寄せ、耳元で囁く。
「もう『大切な生徒』じゃないから、遠慮しないよ?覚悟してね?」
「なっ!なに言ってんだよ!」
「今日は、それ伝えに来ただけだから」
真っ赤な顔をした櫻井のポケットから眼鏡を取り出し、櫻井に掛けた。
「じゃあ、またね?翔さん」
立ち尽くす櫻井にニコッと笑い掛けると、美術室を後にした。