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ただ一つの心を君に捧げる

第3章 女主人


私は彼を立ち上がらせてソファへと導いた。青年は恐る恐る私に導かれ、言われるままにソファへと腰かけた。
私もそんな彼の隣に座って、重ねた手を私の膝の上へと置く。彼は私が側にいることに緊張しているみたいだ。

「貴方の名前は?」

「名前は……無い…いえ、ありま、せん。親方には「おい」とか「お前」とか呼ばれてた、です」

青年は言いにくそうに答えた。名前が無いことを恥じているのだろうか、私は彼に気にしない様にとの意を込めて重ねた手を引き寄せてその甲を優しく撫でた。

「そう。なら何か名前を考えないといけないわね」

「名前?…俺の名前?」

そうよ、と笑いかけると青年は嬉しそうに頬を染めた。

「だって、名前が無いと貴方を呼ぶのに不便でしょう?貴方はどんな名前が良いかしら?」

青年は何かを思い付いたのか、興奮したように身を乗り出してきた。

「ご主人様がつけてよ!俺、ご主人様に名前をつけて貰いたい!…です」

慌てて付け足した慣れない敬語に笑った。だって体は青年のものなのに何だか仔犬の様に思えたから。ご主人様に全力で尻尾を振る仔犬みたい。

「そうね…」

私は彼に手を伸ばしてその頬に触れた。まだ幼さを残した綺麗な肌は手触りが良い。彼は私が触れると、照れて目を閉じた。その長く黒いまつげが小刻みに震えている。

「…ならノアールにしましょう」

「ノアール?」

目を輝かせた彼の手を上向けて、その手の平にノアールと文字をかく。

「これは黒と言う意味よ。貴方の艶やかな髪の色、濡れたように輝く綺麗な瞳の色。そして…私の好きな色の事よ」

「ノアール…ノアール!」

彼は嬉しそうに何度も繰り返した。

「洒落た名前じゃ無くてごめんなさい。こんなのでどうかしら?」

「凄い!俺の名前…ノアールだ!」

気に入った?と聞くとノアールは何度も頷いて見せた。そして覚え込もうと何度も何度も自分の名前を繰り返す。

「ご主人様が好きな色の事なら、俺はこれで良い、です!嬉しい、です!」

ノアールは本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。未だに自分の名前を口にしては照れたようにはにかんでいる。

「喜んで貰えたのなら良かったわ。これから宜しくね、ノア」

愛称を呼ぶと、彼はまた顔を真っ赤にしてぶるぶると体を小刻みに震わせた。そして私の手を握り「宜しくお願いします!」と何度も頭を下げた。
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