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ただ一つの心を君に捧げる

第3章 女主人


○女主人○

扉がノックされ、私は書き物をしていた手を止めて顔を上げた。目がやけに疲れているのを感じて眼鏡を外す。ベルクールとあの子が来るまでの時間潰しに、少しだけ仕事をしようと思っただけなのに、どうやら随分と長い間集中してしまっていたらしい。

もう一度ノックの音がして私は急いで返事を返した。

「入りなさい」

許可を出すと、扉の向こうから「失礼致します」とベルクールの声が聞こえ、扉が開いた。

「マリア様、連れて参りました」

「し、失礼、します」

緊張しているのか、体を強張らせた黒い髪の青年がベルクールの後ろから恐る恐る部屋へと入ってきた。奴隷商人に殴られて腫れていた顔はすっかりと元に戻り、彼の端整な顔が見てとれた。短めに切られた黒い髪にも艶が出て、垢や泥で汚れていた肌もきちんとした食事で血が通い本来の健康的な色を取り戻しはじめていた。

「有難う、ベル。下がって良いわ」

「…はい」

ベルクールは少し躊躇したものの、私の言葉に従い一礼して部屋を出ていった。



部屋に置いていかれた青年は不安そうに目を泳がせた。私は肩にかけていた上着を落とさぬように押さえながら立ち上がり、青年の側へと移動した。

「こんばんは。体調は…良くなったみたいね?」

うつむき加減の青年の顔を覗き込んで微笑みかけた。すると青年は顔だけでなく耳まで真っ赤に染めて、頭がもげそうな程に何度も頷いて見せた。随分と可愛らしい様子に私は自然と笑みが深くなった。

「そう硬くならないで、ほら座りましょうか」

私は近くのソファへ彼の手を引いて連れて行こうと手を伸ばした。するとその手に触れようとした途端に、彼が飛び退くようにして私から距離を取ったのだ。

私は自分の知らない内に彼の嫌がることをしてしまっただろうかと目を瞬いた。すると、主人に逆らうような態度をとってしまったと思った青年が、顔色を青くした。
慌てて床に膝をつくと、額を床へと擦り付ける。

「も、申し訳ございません!お、俺、俺っ、何て事を…」

ガクガクと震える青年の姿により一層驚いてしまった。私ってそんなに怖く見えるのかしら?思わず自分の顔を撫でてみた。そして未だに「申し訳ございません、申し訳ございません」と繰り返す青年の側に私も膝をついた。

「ご、ご主人様が床に膝をっ」

驚いた様子の青年に私は再び笑いかけた。
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