第3章 【倉持洋一】Realize
日が落ちたスタンドには、私しか居ない。
いつも通り上から三段目のベンチに座って、照明に照らされるグラウンドに目を向ける。
丁度、彼がバッターボックスに立った所だった。
急いでスケッチブックを開き、まっさらなページにペンを滑らせる。
大まかな線を引いて、彼の姿を目に焼き付けては手元に視線を落とす。
ここまで聞こえてくる、聞き慣れた野球部員達の声が心地いい。
紙の上に徐々に出来上がっていく彼の姿に、自然と頬が緩んでいくのがわかった。
我ながら気持ち悪いな……と苦笑を漏らしたその時、独特の金属音が鳴り響いた。
きっと彼だ。
私はすぐに動かしていた手を止め、視線をグラウンドへと向けた。
視界に、バットを放り出して一塁へと駆けて行く彼の姿が映る。
ボールが誰かのグローブに収まった頃には、既にベースの上を走り抜けている彼。
相変わらず彼の走りには圧倒されてしまう。
私自身走るのが遅いから尚更だ。
誰かと話しながら一塁ベースまで戻る彼は笑っていて、彼の特徴的な笑い声を想像して小さく笑った。
「それ、倉持かな?」
背後で今まさに頭の中に浮かんでいた名前が呟かれた。
どこか聞き覚えのあるその声に驚いた私の手から、スケッチブックが滑り落ちていく。
けれど、今の私にそれを気にする余裕なんてなかった。
口の中が渇いて、心臓の音がさっきよりも大きく聞こえる。
描いているものを見られてしまったという焦りから来るそれは、酷く耳障りだった。
だってこんなの、傍から見ればストーカーでしかない。
恐る恐る顔を後ろに向け、声の主を視界に入れた私は思わず目を見開いていた。
『小湊、先輩……』
ピンク色の髪が特徴的なその人は、一つ上の先輩で野球部の中でも有名な人だ。
小湊先輩は、いつもの笑顔を貼り付けたまま何も言ってくれない。
私は、倉持くんの名コンビとして知られるこの人が、初めて会った時から苦手だった。
「君、いつもここにいるよね」
そう言われたのがほんの数ヶ月前。
「野球部に誰か好きな奴でもいるの?」
彼の直球すぎる質問に困惑したことは、まだ記憶に新しい。
たぶんこれが、彼への苦手意識の原因。
あの時は野球部の練習風景を描いているのだと言って誤魔化したけれど、もう誤魔化しは効かないだろう。
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