第1章 【カラ松×一松】約束
本当は、僕の言葉で傷付いているカラ松兄さんを見ていたくなかったんだ。
明日からは兄が嫌いな弟を精一杯演じるから。
だから早く、僕の目の前から居なくなって。
二年も兄さんと一緒に演技の練習をしていたんだから、それくらいならやれるはずだ。
顔を合わせる度に酷い言葉を吐いて時々暴力を振るってみせればいいんだ。
なんだ、案外簡単そうで良かった。
それが兄さんと大切な家族を守る為に必要なことなら、僕は死ぬまでそれを演じ切ってみせる。
だから今は何も言わずにこの場所から居なくなって、僕に少しだけ泣くための時間をください。
だんだん小さくなる靴と砂の擦れる音を聞きながら涙を堪えていると、やがてその音が聞こえなくなった。
それを境に涙が一気に溢れ出すけれど、兄さんがまだ近くにいるかもしれない。
そのことが頭のどこかにあって、僕は必死に声を噛み殺していた。
何となくだけれど、兄さんの気持ちを知ることが出来て幸せだった。
本来なら味わうことさえ出来なかったであろう幸せ。
これがあれば僕は、この先の未来、兄さんが僕以外の人と幸せになったとしても笑っていられる気がする。
なんて強がってみるけれど、やっぱり今の僕には無理みたいだ。
「…っ、にぃさ……」
小さく愛しい人を呼ぶ。
けれど咄嗟に口をついて出た言葉は、僕とその人が絶対に結ばれることのない存在だという事実を突きつけていた。
「……一松」
今この場で聞こえるはずのない声が、聞こえた気がした。
「俺はお前が好きだ」
僕は、ついに自分の耳がおかしくなったのかと思った。
それと同時に胸が早鐘を打ち始め、突然のことに溢れ出していたはずの涙が引っ込む。
「そしてこれが持っていていい感情じゃないってことも、……わかっている」
悲痛な色が滲む愛しい人の声は僕が思っていたのと同じようなことを言う。
なんて都合のいい幻聴なんだろう。
「だが、それがなんだって言うんだ?」
強く大きな声で吐き出されたその言葉に、僕は顔を上げずにはいられなかった。
「たまたまっ!好きになったのが兄弟だった…」
僕と目が合った兄さんがあまりにも幸せそうに笑うから。
「ただそれだけのことだろう?」
僕の頬に止まっていたはずの涙が、またひとつ伝った。
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