第4章 恋知りの謳【謙信】
「甲斐の虎…貴様が生きていたとはな。」
信長は、鋭い視線で信玄を睨みつけた。
「残念だろうが、この通り生きている。」
視線で制し合う2人の間で、美蘭は身体を固くした。
すると、そんな美蘭に気づいた信玄は、信長と視線を戦わせながら、美蘭の肩に手を置くと、その手に優しく力を込めた。
その手のぬくもりは「大丈夫だ」と言ってくれているようで、美蘭は、気持ちを少し落ち着けることが出来た。
武田の兵士が信玄に駆け寄る。
「信玄様、領土は無事に解放されました!」
明け渡したと言う織田軍が、万が一にも兵を潜ませたり仕掛けを残したりしてはいないか、と調査にあたった部隊からの安全を確認できた…との報告であった。
「ふん。疑り深い男だ。誰が小細工をするか。」
不愉快を滲ませた信長の一言に
「生憎、俺は貴様を信頼していない。」
憎々しく答える信玄。
「織田軍があの橋のたもとまで退いたら、天女を返そう。」
信玄の、美蘭を引渡す条件に
「…何をっ?!」
短気な政宗は、殺気を滲ませた。
「良い。政宗。俺と甲斐の虎はここに残る。貴様らはあの橋のたもとまで兵を引き上げさせろ。」
だが信長は、冷静にそう言った。
「しかし…!」
信長はそう言っても、先に譲歩した織田軍に更なる要求を課す武田軍に腹がたつ政宗であったが。
「お互いの将が人質だ。武田とて、おかしな事はできん。」
信長にギロリと一睨みされ、信長の意思の固さを知り、政宗は従うしかないと溜息をついた。
「……御意。」
かくして、
お互いの将と人質を遠巻きに囲みながら、
織田軍と武田軍が隊の位置を正反対に入れ替えるための、大移動が始まった。
緊迫感を保ちながら、兵列がお互いに移動していく。
「天女は俺に笑ってはくれなかったな。」
馬の蹄の音や、兵士の足音、鎧甲冑が身動きする度に鳴る金属音…大軍同士の移動に伴い様々な音が鳴り響く中、信玄は、美蘭の耳元で呟くように言った。
「それは…信玄様が変な賭けなんてするからです…。』
「…美蘭…?」
まだまだ話たいことがあったが
「美蘭!帰るぞ。」
信長の声に遮られた。
織田軍が橋のたもとまで退き、武田軍は領土を背に配したのだ。