第4章 恋知りの謳【謙信】
「…巻き込んで…すまなかったな。」
取引きの地へ向かう馬の上。
美蘭を自分の前に乗せた信玄は、
これが堂々と美蘭を抱きしめることができる最後の機会であると思い、美蘭のあたたかな体温を堪能していた。
美蘭は、
信玄の言葉に、春日山に攫われてきてからの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
戦乱の世の不条理
戦の恐ろしさ
命の尊さ
…いろいろなことを考えさせられた。
だが美蘭が一番驚いたことは、
誰もが皆
純粋な信念に動かされていたことであった。
無論、
どの時代にも腹黒い輩は存在する。
だが少なくとも
美蘭が春日山で出会った武将たちは皆、安土の武将たちと同じように、戦う目的は澄んだ水の如く清いものであった。
「…ありがとうございました。信玄様。」
「……。」
人質としては不似合いなことを言う腕の中の女の言葉に、信玄は黙って耳を傾けた。
「わたしの知らなかった世の中を見せていただきました。」
(謙信様にも出逢わせていただきました。)
目の前の か細い肩の女は、恨み言を言わない。
「あ…そういえば…わたしの身勝手のせいでお怪我までさせてしまってすみませんでした。」
怖い思いをしただろう。
心細くあっただろう。
だが、そんな中であっても、
自分よりも周囲のことばかり気遣っている。
「…まさに天女だな…。」
信玄がそう呟いて見据えた先…
両脇を切り立つ岩肌の崖に囲まれた、この一本道の先にある武田の領土の入口には、ひしめく織田軍。
「信長、独眼竜に徳川・石田。そうそうたる面子がお出迎えだな?」
「…っ!!皆さん!」
人攫いの自分にすら、これなのだ。
真っ向から全幅の信頼を受け甘えられたらどうなることか…
「貴様といると退屈する暇がないな。」
「心配かけやがって!」
「あんたってどうしてそう間抜けなの。」
「美蘭様!お怪我などございませんか?」
(…奴等も骨抜きのようだ。)
安土陣営の武将たちのピリピリとした空気に、
信玄は同情するように苦笑した。