第4章 恋知りの謳【謙信】
「…もう大概、礼は尽くしたであろう。」
「…え?」
謙信は、
今から愛しい女を傷つける覚悟を持って振り返った。
「動物が好きだと申すから…何度か寝汗を拭かせた礼として連れて行ってやっただけだ。」
「…謙信…様?」
目の前の愛しい女を石ころだと思うようにして、死んだような目つきで淡々と言葉を続けた。
「夜中に目覚めることも無くなった。もう手間をかけることもあるまい。それにおまえと出かけるのは、もう飽きた。十分礼もできたろう。もう終いだ。」
小さな肩は、震え始めた。
「…っ…。こないだの…ことは…?」
信じられないという顔で、
不安そうに謙信を見上げる美蘭。
そのつぶらな瞳には、みるみる涙が浮かび始めた。
「こないだ…?」
謙信は、
「…ああ。…伽の話か?」
敢えて目をそらさずに言った。
「欲していた夜に、都合良く近くにおまえがいたから抱いたまで。それ以上もそれ以下もない。」
「……っ…!…わ…たし…は…っ…」
美蘭の顔は、絶望に歪んだ。
謙信は、
自分が酷い言葉をぶつけておきながら、自分も胸が引き裂かれるような思いだった。
美蘭の瞳から、大粒の涙が溢れた。
「…話は終わりだ。」
(…これ以上そんな姿を見ていたら抱き締めてしまう。)
急ぎ踵を返した謙信は、足早にその場を離れた。
やっと何日か振りに謙信様に会えたのに…
謙信様に言われたのは、
信じられないような冷たい言葉。
心が近づいたと思ったのは、
わたしだけだったの?
心が無くても身体を繋げることができるってことくらい…わたしにもわかる。
だけど、
謙信様がわたしに与えてくれた
優しい視線にも、
言葉にも、
笑顔にも
…あたたかい心がこもっていたのに。
…そう、思っていたのに…。
わたしの心はこんなにも揺さぶられてしまったのに。
謙信様にとっては、ただの気まぐれだったの?
渡り廊下の角を振り返ること無く曲がって消えた愛しい人の背中が、
涙で曇って、
よく見えなかった。