第4章 恋知りの謳【謙信】
しゃがみ込む美蘭の姿に
伊勢姫を弔ったあの感覚が蘇り、
血の気が失せた。
自分よりも先に駆け寄った信玄が、
自分よりも先に美蘭に触れようとした信玄が、
許せないと思った。
美蘭を誰にも触れさせたくない!
そんな思いが、
自分の中で爆発して
気付いたら
太刀を振るい下ろしていた。
美蘭を部屋に運びながら、
謙信は、
身体中が心臓になってしまったようだった。
怒涛のようなアツい自分の中の感情が暴れ出すのを抑え込むかのように、腕の中の美蘭を、ギュッと抱き締めた。
「…貧血ですな。静かに身体を休ませて下さい。」
診察した老齢の医者は、そう言った。
「ありがとうございました。」
急に無理を言ってこの医者を連れてきた佐助は、礼を述べた。
医者は、廊下で、庭を眺めていた謙信に深々と会釈をして、帰って行った。
「たいしたことがなくて、良かったですね。」
あれだけ心配をしておきながら、医者がやって来たら、診察を見守らず廊下に出て行ってしまった謙信の行動を不思議に思いながら、佐助が謙信に声をかけた。
「…ああ。」
謙信は、安心した様子で、答えた。
謙信は、
たとえ医者であっても、
自分以外の誰かが美蘭に触れている場面を見るのは、とても耐えられないと思い、診察の間、廊下にいたのであった。
「佐助!どうなんだよ、アイツ。」
広間でまだ酒を酌み交わしている信玄と幸村の元に、佐助がやって来た。
「軽い貧血だそうです。疲労ではないか、と。」
「…そうか。」
信玄の胸が、チクリと痛んだ。
美蘭をこんな風に追い詰めたのは、
間違いなく、
この自分なのだ。
「しかしさっきの謙信様のアレは…なんだったんだよ。ありゃ乱心以外の何でもねェゼ。」
幸村は、謙信の懐刀である佐助に向かって、敢えて言った。
「すまない。謙信様も疲れているのかも。」
「そりゃあ乱れるさ。本心に目を瞑っている限り…な。」
信玄は、
独り言のようにそう言って酒を煽った。
(謙信よ。それは、恋だろうが。)
信玄は、
手酌した杯の中の水面を見つめながら、
そう思った。