第19章 恋知りの謌【謙信】湯治編 〜恋心〜⑤
「兎がいない?」
「…ああ。昨日から見当たらんのだ。」
「怪我などしていなければ良いがな。」
鍛錬の合間のお茶の時間に、
椿と謙信が話していると
「あの謙信様に似てる兎だろ?生命力強そうだから平気じゃね?」
「幸村…根拠が無さ過ぎだ。」
「おい。兎と俺が似ているだと?俺はあのように毛むくじゃらではないぞ。」
「…いや…そこじゃねーし…。」
ガヤガヤとした会話の隣で甘味を味わっている信玄が、
「色違いの眼で、眼つきが悪くて、人見知り。…全て謙信にも、あの兎にも当てはまるな。」
信玄が思いついたように言った。
「なあ?椿殿?」
「…!!!」
そして、
急に話を振られた椿の顔は、真っ赤になった。
「人聞きの悪いことを申すと斬り捨てるぞ。人見知りなどするか。面倒なだけだ。」
1人本質に絡めずにいる謙信が、
生真面目に信玄に文句を言っていたが、
「と…にかく、あの兎を見かけたら教えてくれ!」
そう言って、椿がまた竹刀を握ると、
その会話はそれでたち消えとなり、お茶の時間は終了となった。
話にでたとはいえ、ほぼ野生に近い状態で生活している兎のこと。
この時にはまだ、誰1人として、兎が美蘭と共に危機に瀕しているとは、夢にも思っていなかったのであった。
一方織田の離れでは、
家康が、緊張した表情で、珍しくバタバタと無遠慮に床を踏み鳴らしながら、声を荒げていた。
「三成いる?!」
バン!!!!!
と三成の部屋の襖をかなり乱暴に開け放ったが、
三成は全くそれに気づかずに、書簡に意識を集中させている。
目の前の、お決まりとも言える周囲の雑音に微動だにしない三成の光景に、盛大なため息をつくと、
「…っはあ。いちいち疲れる!」
家康は三成の側に詰め寄り、バサ!と書簡を取り上げた。
「…?!…あれ?…あ、これは家康様…!わたくしに何か御用でも?」
「当たり前。用がなきゃこんな部屋に来ない。」
「…この部屋がお嫌いなのですか?」
「そういう意味じゃない!」
「それで御用とは?」
「…っ!」
家康は、
三成に乱された気を整えるように、また1つ深く呼吸をして
真剣な眼差しで、言った。
「狼煙(のろし)が上がった。信長様の緊急事態かも知れない。」