第8章 恋知りの謳【謙信】湯治編 〜湯治場へ〜
「おっと…龍よ、無粋なことをしてくれるなよ?ここは中立の地。ここでの諍い、戦はご法度。反した者は未来永劫立入を禁じられるそうだな?」
したり顔の信長が、ニヤリと口端を上げた。
信長の余裕の態度に神経を逆なでされた謙信は、眉間に深い深い皺を刻み、
「…っ。……言われるまでもない。」
ふいと顔を背けると、
美蘭を腕の中に収めながら言った。
「け…謙信さまっ…。」
みんなの前で抱き寄せられた美蘭は顔を真っ赤にしたが、謙信は気にした様子はない。
「そう露骨に警戒するな。湯治にやって来てみれば…偶然にも貴様等も滞在していると耳にしたから、挨拶に寄ったまでだ。」
説明するかのように、信長は言った。
すると素直過ぎる美蘭は、
瞳をキラキラ輝かせ感激を現にした。
「…すごい偶然ですね!」
(……絶対に偶然ではない。)
謙信は、自分の拳をギュっと握りながら思った。
「すぐ隣の離れだ。囲碁でも打ちに来い。」
「一緒に風呂に入ってやるぞ。」
「暇なら構ってあげてもいいけど。」
「宿の料理に飽きたら何か作ってやる。」
「囲碁の鍛錬、お付き合いいたします。」
「どうしてそうなったのか…きちんと話を聞かせろよ!」
それぞれがそれぞれに言いたいことを美蘭に言うと、
「者共、参るぞ。」
信長の号令で、安土の武将たちはゾロゾロと、上杉の離れを出て行った。
浴場の前の廊下に取り残された、
きょとんとした美蘭と、深いため息をついた謙信。
今度は、入れ違いでやってきた信玄と幸村が、
「謙信…、何故織田の奴らが?」
「いったいどうなってんだ???」
訳がわからないといった顔で叫んでいる。
「……。」
敵対する武将共であるが、
愛する女にとって
故郷のような安土と、家族のような安土の武将たち。
再会を喜ぶ美蘭の顔を見てしまった謙信は、
この中立の地において、安土の武将たちを無下に扱うことはできそうにない…と、深いため息をついた。
「……今宵は…飲むぞ。」
「…お?…おお。」
「つうか、いつもだろ。」
「飲みましょう!」
…この湯治
何かが起きそうな予感しかしない謙信であった。
「湯治へ編」完
「月夜の宴編」へ続く