第8章 恋知りの謳【謙信】湯治編 〜湯治場へ〜
着物を脱げと急かされることはあっても、着ろと急かされるのはこれが初めて。
不思議に思いながら、紺地に白抜きの朝顔の浴衣に、薄紫色の帯を選んで、急いで着付けた。
髪の毛は乾かす暇がなさそうなので、軽く拭くと、簡単に後ろに結いあげた。
「謙信様、お待たせしました。」
支度をととのえて、謙信の待つ廊下に出ると
「朝顔の花言葉は『貴方に絡みつく』だったか?随分といやらしい柄の浴衣を選んだものだな?」
その不躾な発言の声の主は
そこにはいるはずのない…
「み…光秀さん…っ??!」
間違いなく、明智光秀、本人であった。
「なんだ。もう浴衣を着ておるのか。つまらんな。」
「え???信長様?!」
更に信じられぬ人物が現れ
それは更に続いた
「ちょっと…覗くつもりだった訳?」
「魔王が覗いて終わらせる訳ねェだろ。」
「何をなさるご予定だったのですか?」
「家康…政宗…三成くんも??!」
いるはずのない安土の武将たちと、苦虫を噛み潰したような謙信の顔を、交互に首を向けて見てみても、全く状況が理解できない美蘭。
「美蘭!」
更に、懐かしい声の主が最後に現れた。
「…秀吉さん…っ!」
安土で留守番を言い渡され、領土引渡しの場にいなかった秀吉。
安土では、兄のように、またある時は母のように、美蘭の世話を焼いてくれた、美蘭にとっても大切な存在であった。
その秀吉に、きちんと挨拶出来ていなかったことが心残りだった美蘭は、その姿を見た瞬間、目頭がジンと潤った。
「まったくお前は!攫われたあげく、安土に戻りもせず…いったいどれだけ心配をかけたら気が済むんだ!!」
再会の早々小言を叫びながら近づいてきた秀吉の目にも、薄っすらと涙が滲んでいるようだった。
「…っ…ごめんなさい…っ…」
感動の再会
…になりそうだった2人の間に
身体を滑り込ませ、美蘭を背に隠すようにした謙信。
色違いの瞳には不機嫌の炎が揺れ、
その手は鶴姫の鞘をガチャリと握りしめた。