第4章 恋知りの謳【謙信】
「こそこそと何奴だ。姿を見せろ!」
信長の地を這うような低音が、
辺りに響き渡った。
すると、
同じく静まり返った崖の上から、
一頭の馬の蹄の音が聞こえてきた。
ジャリ…と、信長を囲むように身構える武将たちの足音が、やけに大きく美蘭の耳に響く。
「どっちから来やがる…。」
政宗が自分の刀に手を添えて臨戦態勢で眼を光らせる。
「前方右!」
家康の声に、
家康に続き政宗も三成も刀を抜いた。
刹那
織田軍の進行方向の右前の崖の上から、
白い馬に跨った武将が、
不安定な岩肌を見事な綱さばきで駆け下りて来た。
こんな岩肌を馬で下るなど狂気の沙汰。
それを成し遂げたその馬術の腕は、まさに神業である。
「…お前は…っ…!」
織田軍にたった1人で堂々と対峙した男。
「我が名は」
その姿を見た織田の武将たちは、目を見張り、息を飲んだ。
「…上杉謙信。」
死んだとされていた謙信が実は生きているらしい…という噂は、既に光秀により織田に情報が届けられてはいたが、真偽の程は定かではなかった。
「…!越後の龍!!!」
「生きていたと言う噂は本当だったのですね。」
その謙信本人が、目の前に現れたのである。
驚かない訳がない。
美蘭は、信長の腕の中から乗り出すようにして目の前の信じられない光景を見ていた。
風になびく柔らかい髪。
左右色違いの切れ長の瞳。
…それは間違いなく
「…謙信、、様?!」
謙信率いる上杉の旗が、左右の崖の上に無数に現れた。
「越後の龍…戦線布告なしとは、1度死んで人も変わったか?」
信長は取り乱すことなく、言った。
明け渡した武田の領土…背後には武田軍が控えている。
更に武田と同盟を結んでいる上杉軍に囲まれた。
…奇襲を受けたと判断するのが普通である。
だが、威風堂々、真っ向勝負が信念で、軍神と言われた謙信のこれまでのやり方とは違っていた。
「信玄の野郎め!!!」
「武士の風上にもおけませんね。」
興奮する政宗と三成。
それに対し謙信は、
低音の艶やかな声で答えた。
「武田との同盟は撤回した。信玄は関係ない。」
「…は?」
「それでは上杉軍単独でいらしたということですか?」