第6章 ~恋と恋の、あいだ~(松川 一静)
『ただいまー、ねぇ、一静、いる?
あ、靴がある!…ってことは、いるのね!』
玄関から、母親の声。
弾かれたように、
俺と綾ちゃんの体が離れる。
ガチャ。
リビングのドアが開く。
『静、おかえり。早いね!』
何事もなかったように
母を迎える綾ちゃん。
『今、コーヒーいれてたとこ。静、ご飯は?』
…さっきまでの出来事がウソみたいに
普通の声、普通の動きの綾ちゃん。
『まだなのー。
でも大丈夫、たこ焼き、買ってきたから。
…あら、一静、熱でもあるの?
なんか、顔、赤い?ボーッとしてる?』
『ぃ、いや、別に…』
『ほんと?試合前の大事な時期に風邪なんか…』
熱はないか確認しようとする母の手を、
『熱とか、ねぇしっ!』
邪険に振り払ってしまう、この動揺ぶり。
すかさず、綾ちゃんが助け船を出してくれる。
『今、お湯で洗い物してもらったからかもね。
いっちゃん、冷たいコーラでも飲む?
静は?ビール?』
母はすぐに綾ちゃんの方を向いて。
『お茶にするわ。
ちょっと一静と、話したいから。』
『おいしいお茶、いれるわね。
先にお風呂、入ってきたら?』
『あ、そうしよう。
ねぇ一静、寝ないで待っててよ?』
『…まだ10時だろ?寝ないって。
子供じゃあるまいし。』
『はいはい、ごめんなさーい。』
母は、気にもしてない感じで
風呂に向かった。
間もなく、シャワーの音がきこえてくる。
『…いっちゃん、動揺しすぎ。』
『急に親が帰ってきたら、普通、動揺するだろ?』
『そのくらいの覚悟がないなら、
中途半端はしちゃいけないわよ。』
…返す言葉がない、というか、
そんな場面、今まで出会ったことないし。
『ごめん。』
『ううん、私も、忘れるから。
お互い、なかったことにしよう、ね。』
『…』
なかったことに、と言われると、
それはそれでどうかと思ってしまう。
だって、
『俺は、そんな軽い気持ちじゃ…』
『男の子なら誰でも1度はあるような、
気の迷いだから。なかったことにして。
彼女と静を、大事にしないとダメよ。』
ハッキリと言って、
綾ちゃんは母のお茶を準備し、
風呂場に声をかけると、
部屋に入っていった。
俺の気持ちは、置き去りのまま。