第3章 ~痛い、恋 ~ (烏養 繋心)
少しの沈黙のあと、
綾は言った。
『ね…
今のままがダメなら、全部捨てて、
二人で全然新しい暮らし始めるのも
あり、じゃないかな?』
若さ、だと思う。
世界中を敵にまわしても、
自分達の愛は、変わらない。
…そんな風に思う時期が確かにあって、
それは遠い昔、もしかしたら
俺にもあったかもしれないけど、
もう、今の俺は、
そんな風には思えない。
嶋田や滝ノ上を見ててもわかる。
みんな、恋愛結婚して、その時は
『一生守る』
『世界一幸せだ』
…って思ったはずで、
だけどそれはやがて少しづつ変わり、
日常生活は紆余曲折と壁の繰り返し。
そんな時に支えてくれたり、
繋ぎとめてくれるのは、
やっぱり、よく知る誰か…
家族や仲間や近所の人たちだということを、
そしてそれはもしかしたら、
すり減っていく愛情に反比例するように
後になるほど大事な存在に
なっていくことを、
…綾より一回り以上年上の俺は、
知っている。
『ね、あたし、
ケイ君と一緒にいられれば、』
その一言、すっげー、嬉しい。
だけど、な。
…彼女の膝の上のクロワッサン。
『わざわざ、
家族一人づつのこと考えながら
それぞれが好きな味を選んで
土産、買うような優しい娘、
連れ去るなんて、俺、出来ねぇし、
綾だって、出来れば家族のそばで
祝福されたいだろ?』
俺の大事な綾は、
それよりずっとずっと前から、
親父さんやおふくろさんにとって
かけがえのない娘で、
兄貴にとってたった一人の妹で、
それぞれが、
綾らしい幸せを願ってる。
あの日の親父さんの厳しい言葉も、
あの日のうちのおふくろの言葉も、
痛いほど、親の愛が詰まってたんだ。
『ごめん。
俺、お前より年上だからさ、
余計なこと、いっぱい考えちまうんだ。
もっと無茶できたらよかったのにな。』
『…でも、だけど、』
泣くかな、と思ったけど、
綾は、泣かなかった。
彼女の真っ直ぐな気持ちは、
彼女を育てた父のように、本当に強くて。
『今すぐ、別れなくてもよくない?
もしかしたら、私達がくじけなければ、
そのうちいつかは父も根負けして
許してくれるかもしれないし…』
それは、希望、というより、
むしろ、無理を承知の、願い。