第16章 愛しさと切なさは紙一重
(その後のことは、あまり覚えていない…)
母の首を優しく包んで、私達が住んでいた家に持って帰って、土に埋めた。
お墓を建てるべきだったが、あの時の私には、そんな力も気力もなかった。
首だけになってしまった母の髪を撫で、私は大粒の涙を零した。
私は最初は幕府を恨んでいなかった。自分の愚かさを恨んでいた。
せんせーから教わったはずの医者としての掟を破り、その結果1人の人間が死んだから。
たとえ、母のそばにいたとしても、結果は同じだったかもしれない。
私は人を“救う”ことばかりで、“護る”術を持ってなかったから。
“何で私はせんせーから、“護る”術を教わらなかったんだ…!?”
私は昔、刀が好きじゃなかった。
人を傷つけるなんて悪いことだっていうきれい事ばかりを、頭の中に並べていた。
せんせーも私の気持ちを察して、医術を教えても、剣の稽古を強要しなかった。
だが私は汚くなるべきだった。それで護れたはずのものを護れるんだったら。
(せんせーが私を天導衆から護ってくれた意味を、ようやく理解できたんだ)
あの時のせんせーは、とても怖かった。けどそれでも私を護れた。
私にも、せんせーのような強さがあるべきだったんだ。
母の死がきっかけで、私は医者を志すのを諦めた。
でも、せんせーとの唯一の繋がりの証である医学書は、捨てることはできず、懐にしまっていた。
雨だろうと晴れだろうと雪の日だろうと、後悔ばかりを考えた。
私は罰を欲した。
誰かに手を下してほしかった。
でも、誰も私を殺すことはできなかった。
雨の日、私に手をさしのべた人がいた。
それは、小さな銀髪の子供を連れた変わった侍だった。
名前は、吉田松陽。華岡愁青と同じ“先生”だった。
ただ、“救う”術ではなく、“護る”術を教える先生だ。
どんな時も笑顔を絶やさない所が、私にとっては少し癪に障った。
「私の先生はただ1人だ、お前じゃない」と思っていた。
けど時間が経つにつれて、不思議と不快感が無くなっていった。
『人生や些細なことでも、辛い経験した人はその思いを他の人にしてほしくないと願うことがあるんです。だからその人は、誰よりも優しくなれるのです』
あの言葉が、素直に嬉しかった。
いつの間にか私は、松陽先生のことを認めていた。