第16章 愛しさと切なさは紙一重
10年前、幕府は華岡愁青の高い技術力に目を付けた。
幕府に逆らえば命はない。その関係者でさえ。
だからせんせーは私と母さんから姿を消した。いや、私達を護るために、囮になったんだ。
私と母さんは、幕府の魔の手から逃れるために、安全な街に避難していた。
でも私は、せんせーがとても心配で。だから…
(私は昔、選択を誤ってしまった)
患者を救うはずの医者が、患者を見捨てて私情を優先させてしまったのだ。
私が医者を志していた理由、体が弱い母親を置いていって、せんせーを探しに行ってしまった。
自分の家へ戻った。そこならせんせーの居場所の手かがりがあるかもしれないって。
蔵の中を探していたら、妙な記事を発見した。
そこにはとんでない事実が記されてあった。
母さんが元は名家の人間だったこと。父親と駆け落ちして、ずっと指名手配になっていたこと。
知らなかった。
私はすぐに戻った。母さんを独りにしてしまったことを後悔し、そして無事であることを祈りながら、来た道を走り続けた。
でも、私の願いは届かなかった。
走っていると、橋に人だかりが見えてきた。皆は河原を見下ろしていた。
気にはなったが、私は置いていった母の元へすぐにでも戻らなければならない思いでいっぱいだった。
人混みを通り過ぎて橋を駆け抜けようとしたが、通行人のある言葉が耳に入った。
“駆け落ちしたお嬢様が、名門の面汚しの罪であんな風になるなんて……”
……え
私は足を止めて、ゆっくり顔を河原の方へ向けた。
ドクン…ドクン……
心臓の音が大きくなっていく。
私はこの時、頭の中で薄々最悪のシナリオを描いていた。
けど、違ってほしかった。
(あ……)
その時見た光景は今でもはっきり覚えている。
河原には、晒し首が1つだけあった。
青く美しく艶のある髪。目を閉じていても伝わる聖母のような優しい寝顔。
私の母親の顔で間違いなかった。
『雅。愛しているわ』
私の名前を呼んでくれる口も、私に優しい眼差しを向けてくれるその目も、私に微笑んでくれる口元も、もう動かないんだ。
その顔は、死んだ物になったんだ。
私がそばにいなかったから、私が救うことを怠ったから、私に護る力がなかったから。
母は死んだ。いや、私が殺した。
私は、後悔した。