第16章 愛しさと切なさは紙一重
高杉は自分の頭をかいていた手を止め、表情を変えた。
そして主人の言葉で思い出した。去年のことを。
『その傷、どいつにやられた?』
『ソイツの名前を教えて、私にメリットでもあるのか?』
去年この街の夜、雅の頬にはガーゼが張られていた。そこには痛々しく殴られた痕があった。
(コイツが…!)
高杉は拳を握ったが、すぐには襲いかからず、雅のような冷静さを保って質問した。
「てめェが、アイツを殴ったのか?」
「…ああ。あのお方が手術すると名乗り出た時、女が出しゃばることに虫ずが走り、死にかけのせがれの前でな…」
主人は反省しているように小さく寂しそうな声で言いつつ、作業の手は止めず仕事を続ける。
服を乾き終えて、今度は洗濯してもほつれないよう丈夫に縫い付ける。
そばの棚から糸や針など、専門の道具を取り出して、縫い始めた。
今、自分が衣服の布を縫っているが、去年のこの上の部屋では、先生はせがれの皮膚を、人間の皮を縫った。
人間の体を傷付けてでも救う覚悟とその確かな技術があったのに、自分はそれを全く信じず、聞く耳を持たず手を上げた。
一家の大黒柱とあろうものが、何て情けない話だったのだろう。
「……俺にそんなことを言うのは何か?懺悔として殴ってくれでも頼むつもりか?」
高杉は、自分から悪行をしたと名乗り出た主人に疑問を抱いた。
去年の尻拭いを、雅本人ではなく雅の友である自分にさせようというわけか?
主人は作業する手を止め、高杉に向いて頭を下げた。
「そうだ。アンタがあの方の友なら、俺を殴る権利がある。1年前からずっと俺は後悔していた。あの方がしないなら、アンタが俺を殴ってくれ。アンタが俺に始末をつけてくれ」
「……」
去年の自分なら迷わずコイツを殴っていた。
だが、雅がこの家で成した功績や寄せられている信頼。
それらをこの目で見た今、コイツを殴れば、全てが無くなる気がした。
たとえ自分がスッキリしても、優しい雅はやりきれない気持ちになるかもしれない。
虚しい気持ちになるだけだ。