第14章 少女よ、大志を抱け
これは十年ほど前の、彼女しか知らない話。
幕府は愁青の存在と、痛みを消すことができる不老不死薬と言っても過言じゃない麻酔薬のことを知りえた。
愁青によって無償で手術され命を救われた者達の噂話を聞きつけたのだ。
当時はその話は、「痛みが無くなるなど、まるで痛み嫌いの妄想のようだ」と、殆どの者が笑い話にして、会話のおつまみにしていた。
愁青を生ける伝説と言う者もいれば、どこかの伝承だと言う輩もいた。
幕府はその話が本当だと知るや否や、彼に近付き交渉を持ちかけた。
『幕医としてその多大なる才を振るえ』
しかし愁青はその申し出を断った。
だが幕府は断られたとしても、どうしても彼の“通仙散”が欲しかった。
その薬があれば、間違いなく国にとって大きな産物となると確信していたから。
そこで幕府は、奈落を介してその男に接触し無理に強奪することを企んだ。
その際に狙ったのが、愁青の弟子であり付き人であった、まだ10にも満たない雅だった。
その頃の雅は、戦いも人を傷つけるのも忌み嫌い、剣をろくに握ったこともないか弱い少女だ。
人質として拉致されそうになったが、師の愁青が間一髪助けた。
しかしこのままでは、雅の命が危ない。自分と幕府の因縁に、この子を巻き込むわけにはいかない。
愁青は雅と離れる決意をして、彼女の前から姿を消した。
そして、後の攘夷戦争。
幕府が“通仙散”に似た別のものを開発していることを知った。
構造は微妙に違ってはいたが、先生が独自に考えた“曼荼羅華”(まんだらけ)などの薬毒物の配合が酷似していることから、間違いなく先生の医術を基に作っていたと確信を得た。
あれほど幕府に教えることを拒んだ先生が、簡単に教えるわけがない。
恐らく、何らかの方法で無理矢理強奪されたのだと、彼女は考えた。
もしそれが本当なら、ひょっとしたら、先生はもう……
なんてことを、この先彼女は何度も思い、先生の安否が分からないまま、戦に出向く。
死に別れた母。生き別れた師。
あらゆる別れを心の奥底にしまいながら、夜になるとふと思い出し、彼らを想いながら夜桜の下で密かに涙を流す。