第9章 囲いの鳥
城に戻り、湯浴みを終えると
凛は、ぼんやりと縁側に腰掛けた。
もうすぐ夕日が落ちる。
「‥凛。」
耳に馴染んだ声がすると、
ふわりと優しい香りに包まれた。
「‥ここにいたのか。」
凛を抱きしめたまま腰を降ろすと
スリスリと頬を寄せる謙信。
「大事ないか?怖い思いをさせたな。」
「私は大丈夫です。」
謙信様が守って下さったから‥と
包み込む腕にそっと手を添える。
チラリと謙信の表情を仰ぎ見ると
男に掴まれた方の腕をジッと見つめ、
困ったように眉根を寄せている。
「‥どうかしましたか?」
「‥いや、なんでもない。」
謙信は小さく首を振ると、
いつもの優しげな目元に戻る。
「‥明日は城下に出るんだったな。」
「はい。謙信様は、軍議ですよね?」
「ああ。‥そうであったな。」
謙信の生返事で、軍議を放って
付いて行くと言い兼ねないと悟り、
凛はふわりと微笑んで見せる。
「なるべく早く帰りますね。」
(心配しないでって言っても心配するよね‥)
以前も凛が城を離れた際に、
軍議を放って付いて行くと言い出し
信玄と佐助に宥められた謙信。
「軍議など、つまらんだけだ。」
佐助に任せておけばいい、と
子供のように拗ねる。
「また怒られちゃいますよ?」
その様子にクスクスと笑みを零すと
そうだな、と謙信も笑った。
「じゃあ夕餉の仕度、手伝ってきますね。」
「‥ああ。」
分かった、と謙信が
名残惜しそうに唇に触れるだけの
口づけを落とすと、凛は
照れたように頬を膨らませる。
「‥もう。」
こんなところで‥と、言いながらも
嬉しそうな微笑みを残して
凛は台所に向かっていった。
その背中をぼんやりと見送り、
しばらく空を眺めていた謙信の元に
音も無く、一人の忍が舞い降りる。
「お呼びですか、謙信様。」
謙信の足元に跪く。
その表情は布で覆われていて
読み取る事は出来ない。
「明日、凛が城下に行く。」
「‥はっ。」
短く返事をすると、木の葉を巻き上げ
忍はフッと姿を消した。
「‥凛。」
謙信は沈み行く夕日に呟く。
舞い上がる木の葉がヒラヒラと
静かに足元に落ちていった。