第8章 ー生ー
漸く雨も降り止み、出産を無事済ませた大野の妻が蔵へと移された。
産後から意識も戻らないのに…
出産を穢れとして忌み嫌う風習が根強く残る土地では、たとえ妻の意識が戻らなくても、それに従うしかなかったのだ。
当然の事ながら、妻を蔵に移すのは、事情を知っている照と、そして相葉が進んで引き受けた。
もし突然赤ん坊が泣き出しでもしたら、危険を冒してまで守った命が絶たれてしまうのを懸念しての事だった。
でもそれは照にとっては好都合なことで…
これであの赤ん坊にお乳を吸わせてやれる。
照はあの小さな赤ん坊に、満足に重湯すら飲ませてやれないことが不憫で堪らなかったのだ。
照は大野の妻の世話を一手に引き受けた。
そうして出産から何日か過ぎた頃、先に産まれ落ちた赤ん坊に“翔”と言う名が付けられた。
大野は翔に、産まれたばかりの赤ん坊には不釣り合いな、上等な絹糸で織られた産着を着せ、屋敷には代わる代わる乳母呼びつけては、翔に乳を吸わせた。
その光景を片隅で見ながら、薄暗く寒々とした蔵に人知れず隠した、あの小さな小さな雪兎のような赤ん坊に想いを馳せた。
あの子はどうしているだろうか…
おしめが濡れて泣いてはいないだろうか…
お腹を空かせてはいないだろうか…
何をしていても頭に浮かぶのは、小さな赤ん坊のことばかりだった。
そうだ、あの子にも名を付けてやろう…
本当ならば父親である大野が授けるのが常。
でもそれは叶いそうもない。
照は小さな赤ん坊に”智”と名を付けた。
賢い子に育つように…
照の、智に対するせめてもの願いだった。