第9章 まだだよ(澤村大地)
「他人の小銭でもいいんだっけ?」
「これは人類みんなのお金だよ」とは言うものの、澤村の背後にある社殿から神様が見ている気がして、あたしはコソコソと50円玉を握らせた。
「人類みんなってなんだよ、その理論」
「今考えました」
「わかったよ。じゃあ、月曜日に返すからな」
ガランガランと拝殿の鈴が鳴る音を、あたしは背中で聞いていた。少しの間を置いて、気持ちよく柏手が2回響く。誰が管理しているのかもよく分からないこの神社は、寂れた雰囲気で人影はない。曇り空の夕暮れの下で、石畳の参道の脇に生えた草花が徐々に色温度を低くしていた。あたしはそれをひとつひとつ眺めて暇を潰した。ひっそりと膨らむアジサイのつぼみ。小さく思い思いの方向へ咲くサツキの花──ツツジの季節が終わった後に、一回り小さなサツキが咲くのだと教えてくれたのは道宮ちゃんだ。
道宮結ちゃん。
人生で出会った中で、一番性格の良い人は誰ですか。もしそう聞かれたら、あたしは迷わず彼女の名前を口にする。どんな子なの?と聞かれたら、ショートカットが似合うんです、と。笑顔が可愛いんです。あたしみたいな嘘は吐けない子なんです。打算とか計算とか苦手なんです。とにかく頑張り屋さんなんです。
あの子は、澤村のことが好きなんです。
あたしは心の中で、見えない誰かに教えてあげる。忘れてしまわないように。あたしの友達は澤村のことが好きなんです。ずっと片想いしてるんです。ふたりは同じ中学なんです。あたしのパパとママみたいだと思いませんか?
好きな人と話してる時の道宮ちゃんは特別だ。相手との距離も、わざと逸れていく視線も、つま先の向きも。
あんなにわかりやすく、顔にも声にも仕草にも出てる。なのに澤村は察することができない。非常に鈍感。目の前の道宮ちゃんにすら意識が向かないということは、蓋をして閉じこめているあたしの気持ちは、なおさら気づかれないんだろう。