第7章 風にそよぐ場所(北信介)
「好きなの描けばええんちゃう?」
「それがなー、みんなそう言うけど難しいねん。テーマとかタイトルとか。深く考えられへんし上手く描けへんし」
「要らんやろ、そんなん」
振り返って信介を見た。意外な発言だ、と思った。信介っぽくない。本人も違和感があったのか、表情を濁らせて「自由に、描けば」とつけたした。ちょうど陰と日向の境目に立っていて、運動着の上に斜めの線ができている。
「北さんの有り難いお言葉か?」
「琴葉なら大丈夫やろ」
何の根拠があるのか、信介は迷い無く繰り返した。「大丈夫やって。大丈夫。せやから、出来上がったら俺にも見せてほしい」
それはな、と思った。励ましやなくてプレッシャーや。頭の上に石を乗せられる気分にしかならない。それを信介に伝えると、「楽しみやなぁ」と更に重石を乗せて笑った。
***
「ききき北さん、女子と話せたんですか!?」
「北さんは女子の声が聞こえない仕様だったんとちゃうんですか!?」
大げさな表情で肩を掴んでくる治と侑を、「うるさい」と北さんが払いのけた。
先刻、体育館に遅れて現れた北さんは、澄ました顔でストレッチを始めた。さり気なく練習に合流するつもりだったのだろうが、先輩をイジりたくてたまらない侑と治にあっと言う間に捕まった。
「角名、何やねんこいつら。邪魔や」双子を押さえ込みながら、鬱陶しそうにこちらを振り返ってくる。
「俺に言われても」
困ります、と返そうとしたけれど、北さんの表情が珍しく本当に困惑の色を浮かべていたので心が躍った。
幸運と言うべきなのか分からないが、見てしまったのだ。侑や治より後ろを歩いていた俺は、女子に呼ばれた北さんが促されるまま窓の外を覗き込んでいるところを。一瞬眩しそうに薄目を開けた後、はっとした顔をして、その瞳に光がさすのを──
機械みたいな人でも、あんな顔するんだ。
横にいた女子は並んで外を向いていたから、見ていたのは自分だけだろう。良いものを見た、という気分までにはならなかったものの、珍しいこともある、とは思った。