第1章 恋とウイルス(縁下力)
そんな心のつっかえがあって、わたしは縁下先輩には気軽に慣れ慣れしくできない。でも慣れ慣れしくしない代わりに、この2人きりの、パチン、パチン、の合間に謝っておこうと思う。
ホチキスを打つ縁下先輩を見て、わたしは自分に言い聞かせる。これはチャンスだ。懺悔せよ琴葉。
わたしは制服の胸ポケットに入っていたシャーペンを取り出し、プリントに薄く『ごめんなさい』と文字を書いた。気づいてもらえるように、場所は針を打つ位置を選んだ。
内心ドキドキしながら、なに食わぬ顔で先輩に渡す。
ホチキスの音が止まる。
先輩は、理解できなかったのか、曖昧な表情をして瞬きを繰り返した。
「桐谷さん……これ、なに?」
「書いてある通りです」
わたしは深々と頭を下げた。「ごめんなさい」
「俺、きみに告白とかしたっけ?」
「違います。笑ったことです。自己紹介のときに、」
「あ」
ようやく合点がいったのか、先輩は記憶の本を探るように右斜め上に視線を向けて、それから微笑みをくれた。
「いいよ、慣れてるから」
さらりと許された。
「怒ってないんですか」
「うん。別に・・・名前でリアクションもらうの、初めてでもないし」
参ったなぁ、と言いながら、先輩は全然参った様子も無くホチキスをパチンとさせた。清さを感じさせる光景だった。体格が大きいわけでもないのに、人ひとりなら包めますよって感じの人間的な深さが見える気がする。うっかりしてると包まれてしまいそう。
「縁下力って、素敵な名前だと思います」
笑っちゃったのは、あれです。予想外だったって、それだけです。
頬杖をついて、わたしは言った。この数週間に頭の中をぐるぐる回っていた響きの名前だ。しみじみ考え直したら、悪くない。
「ありがとう、自分でも気に入ってる」
「名は体を表す。って言いますもんね。先輩にぴったりですよ」
「ちから って名前も?」
「先輩は、柔らかいタオルケットみたいです。ほら、あるじゃないですか、柔らかいことは強いことって感じの言葉」
「それはもしかして、『柔よく剛を制す』のことか」
「それです、それ。たぶんそれ」
「適当に言うなぁ」