第5章 甘雨
「なんか香ばしいテーブルですね」
思った事をそのまま言ったら、また笑う声がきこえた。テーブル一つでこんなに笑うなんて、今日はどうかしてしまったんだろうか。コトンと音がして、その後にパラパラと微かに響く音。どうやら彼の腹の虫は限界のようだ。
「はー、腹へっちゃったね?何食う?あっ、えーとパスタ、グラタン、サンドイッチ、それから」
丁寧にメニューを読み上げていくものだから、また思わず笑ってしまう。優しい人なんだろう、何も言っていないのに、私の事を考えてくれている。膝の上に置いた両手を擦りながら、彼の手と心の温もりは同じなのだろうと思うと自然にあがる口角。枯れかかったような掠れた声なのに、その声さえ心地よくついききいってしまう。
「で、どれにする?」
いきなり復唱が止まりビクっと身体が跳ねた。どうやらメニューを全て読み上げてしまったらしい。表情は見えないけれど、私を待ってくれてるんだということが伝わる。
「あっ、えーと、パスタがいいです」
「うんうん、パスタね?えーとカルボナーラ、ミートソースパスタ、ジェ、ジェノ、ジェノブェ、あっ、噛んだ、ジェノブ...」
これまた丁寧にメニューを読んでいく彼に、胸がじんわりと温かくなる。ジェノベーゼソースの表記で噛んでしまって何度も何度も言い直して、その行動がとても可愛らしい。
「ジェノベーゼ、あっ言えた。ダメだわ、横文字がどーにも苦手なんだよな!だはは」
「わかります、私も点字で読む時苦労しますから」
こんなに心穏やかに人と食事をするのは、いついらいだろう?いや、男の人と食事をするのはこれが初めてで、普通なら緊張してしまうと思う。それなのに何故か緊張という文字が見えない。彼の独特の雰囲気がそうさせるのか、人懐っこい雰囲気が人の心を和ませるのかもしれない。
...きっと笑った顔も素敵なんだろうな。
少し切なさを噛み締めつつ、いつもなら雨音に耳をすませるけれど、今日は少しだけ違う。
彼という人間に耳をすませてみたい...。