第60章 一夜の妖花(武田信玄/甘々)
仕事を終え、迦羅の部屋に向かう。
歩きながら昼間のことを思い出していた。
…あの様子じゃあ、随分気にしたみたいだな。
自分を他の女と比べる必要なんて無いんだ。
迦羅には今のままで、ずっと側に居て欲しいんだが。
「ただいま、姫」
襖が開いたままの部屋に入ると、あの約束通りいつもの笑顔で出迎える迦羅が居た。
「お疲れ様でした、信玄様」
「いい子にしていたか?」
「もちろんですよ!」
まぁ多少の無理はしているんだろうが、その笑顔が見られてほっとしたよ。
今日はサラサラと吹いて来る風が気持ちいいな。
月こそ見えないが、悪く無い夜だ。
「ここへおいで」
開いた襖の手前に腰を下ろし、隣をポンと叩く。
誘われるままに迦羅は俺の隣に座った。
僅かな距離を空けて。
「この隙間がもどかしいと思うのは俺だけかな?」
「え?」
「もっと近くにおいで」
「…はい」
腕と腕と、膝と膝がくっつくと、途端に迦羅の頬は淡く色付く。
それがとても愛おしいものになる。
「俺はそのままの君が好きなんだ。無理に変わろうとする必要は無いんだよ」
「……でも」
「君は一体何を悩んでいるのかな?」
いくら笑顔を作っても俺にはわかる。
君のことは、手に取るようにね。
「信玄様は、恥ずかしくないですか?」
「恥ずかしい?」
「その…私を隣に置いておくことが、です」
「それの何が恥ずかしいって言うんだ?」
成る程…。きっと君は今日のことで思うところが有るに違いないな。
胡座をかく膝の上に肘をついて迦羅を眺め、そして次の言葉を待った。
「信玄様は落ち着いた大人の男性ですけど…私は、そうじゃないから…」
「それが嫌なのか?」
「せめて信玄様と、ちゃんと並んで歩けるような女性になりたくて」
「迦羅……」
君がそんな不安を抱えることはない。
いや、そう教えてやれない、俺の責任かな。
そっと手を伸ばして迦羅の膝に乗る小さな手を握る。
夜風で冷えたのか、ヒンヤリとした手。
「迦羅。ほら、温めてあげよう」
手を広げると、控え目に俺の胸にもたれかかるようにして、迦羅の身体が寄り添った。