第6章 裏切りの雨(織田信長/悲甘)
声にならず心の中で必死に叫んだ。
震えも涙も止まらないー
…っどうしてこんなことにー。
「恨むのなら、お前を捨てた信長を恨め」
そう言って一層不気味に笑い、肌を這う手に熱がこもる。
もう…逃げられない…
「っ…やめてっっ!」
振り絞って声を上げた瞬間ー
部屋の襖が凄まじい音をあげて壊れ、吹き飛んだ。
驚き振り返る男の喉元に、白光を纏った刀の切っ先が突き付けられる。
凍りつくような鋭い目で汚い男を見下ろしているのはー
…信長様
「貴様、この女に何をしていた」
「こっ…これは…その、」
刀を突き付けられ身動きもとれない男は、信長様の異様なまでの圧に押されて最早震えていた。
「言ってみろ」
一段とその目が凍てつき、喉元に当てられた切っ先に僅かに血が滲む。
信長様の背後には、今すぐにでも斬りかかってくるような表情をした政宗が控えている。
私は…こんな信長様を初めて見る。
男を睨みつけていた信長様の目がわずかに動き、動けずにいる私に向けられるー。
見たことのない程に怒りを含んだ目に、言い知れぬ恐怖を感じた。
それと同時に、男に乱された着物とその姿
それを信長様に見られてしまったことにもー
そのあまりに冷たい信長様の目に耐え切れなくなった時、それまで動かなかったはずの身体に僅かに力が入り、気付けば私は、咄嗟にその場を逃げ出していた。
信長様の横を掠め、政宗を押しやり、息を切らして宿の外へ出る。
その時、刀を振り下ろす風音と、耳障りな男の最期の声が聞こえた。
はぁ、はぁ…
宿を出たあと、どこをどう走ってきたのかもわからない。
身体は重くて足はもつれ、胸が苦しいー
力が抜け、倒れこみ、また立ち上がる。
遠くで何度も私を呼ぶ声が聞こえる。
でも、逃げなければいけない気がした。
何処へでもいい。
音を立てて降り注ぐこの雨よりも遥かに冷たい、あの、信長様の目に映らないところまで…。