第31章 紺碧の涙・後編(上杉謙信/悲甘)
ん……、
鼻先を掠める淡い花の匂い。
まるで何日も眠っていたかのように重い身体をゆっくりと起こす。
「…ここは?」
見渡せば、あの野原。
もう陽が沈もうとしている。
私、戻って来たんだ…。
ちゃんと、ここに。
「謙信様…」
一目散に走り出したい気持ちとは裏腹に、ひどく疲れた心と安堵からか、身体が思うように動かない。
逢いたい、謙信様に。
早く声が聞きたいよ…謙信様。
目の縁に涙が溜まっていくのを感じた時ー
「っ迦羅!!」
名を呼ぶ声が聞こえて振り向くと同時に
懐かしく愛しい温もりに、私は力強く抱きしめられていた。
「迦羅、迦羅…」
確かめるように何度も名を呼ばれ、私を抱く腕が苦しいほどにきつく力を込める。
「お前が無事で良かった」
「ごめんなさい、謙信…様」
逢えなかった時間を埋めたくて
ここにある確かな温もりに必死にしがみつく。
回した腕を解いた謙信様に両頬を包み込まれ
急くように唇が重ねられた。
「んんっ…!」
いつもより強引に割り込まれた舌に、息をするのも忘れて…
ようやく離れされた唇から、お互いの熱い吐息が一気に漏れる。
また引き寄せられて、額がくっついた。
「私……」
これまでのことを話そうと思った時
謙信様の目から涙が零れた。
「わかっている、何も言うな…」
初めて見る謙信様の涙。
薄っすらと浮かぶ三日月の淡い光に照らされて、とても綺麗に、碧くキラリと光った。
「謙信様でも、泣くことがあるんですね」
「泣いてなどいない」
「泣いてるじゃないですか」
「…馬鹿を言え」
まるで涙を隠すように私を肩口に埋め、また強く抱きしめられたら、今度は私の涙が零れ落ちた。
それは悲しみの涙じゃなくて
愛する人の側に居られる幸せを感じているからだと思う。
もしもこの先、謙信様が涙を流すことかあるとするなら、いつでも私がその涙を拭ってあげたい…。
だからいつでも、貴方の側に居たい。
私のこの手が届くように。