第31章 紺碧の涙・後編(上杉謙信/悲甘)
「おのれ上杉!何故貴様がっ…」
「寝言ならばいくらでも言わせてやる」
鋭く刃が風音を立てて振り下ろされる。
「あの世でな」
上杉謙信が腑抜けた屍となったと思っていた敵軍は、その畏れを知らぬ進撃によって最早陣形を崩され、散れ散れになり交戦を続けていた。
前線で馬を並べた謙信と信玄ー。
「不貞腐れてなくて良かったのか」
「ふん。言ってくれるな」
力強い闘気を宿し、前を見る謙信の瞳。
何がどうしたかわからないが…
「心配させやがって」
呟く信玄の口元が安堵に緩む。
「一歩も引くな。このまま押し取るぞ」
謙信が一声あげると、再び戦火の中へ攻め入った。
所々で燻る戦火を消すような、細やかな雨が降り始めた。
猛攻の末国境から敵軍を退けた謙信たちは、明朝に春日山への帰路を辿る。
短期間での二度の戦に、上杉の兵は皆疲弊していた。
天幕を出て星もない空を見上げれば、細やかな雨は未だ続いている。
「…佐助か」
音もなく、いつの間にか側にある気配。
「迦羅さんのことは…」
「心配要らん。この俺が見つけてやる」
「それを聞いて安心しました」
それ以上は何も言わず、また気付けばその気配は消えていた。
天幕へ戻り腰を下ろすと、幾日分の疲れが一度にやってきたように身体が重い。
心配要らん、か。可笑しなものだ。
自嘲する笑みを浮かべ、重くなる瞼を閉じたー。
そして微睡みの中では、迦羅が笑っている。
お前が笑っていれば、俺は幸せなのだ。
お前が、側にさえ居てくれれば。
だから…
(この雨が止んだら、きっと迎えに行って下さい)
いつか夢に見た薄暗い部屋。
その奥に佇む見覚えのある後ろ姿。
やはり、お前であったか…伊勢姫。
(運命とは時に悪戯なもの…それをお忘れなく)
そう言って振り向いた伊勢姫の顔には
あの頃と同じ微笑みがあった。
俺はあの時のことを許せとは言わぬ。
だが、わかってくれるな?
俺が今、どれ程に迦羅を愛しているかをー