第30章 紺碧の涙・前編(上杉謙信/悲甘)
わずかに陽が傾き始めた頃、あちらこちらで土煙をあげる戦場を馬上から眺めていた。
響きわたる交刃の音、群集の声。
この戦、上杉軍の勝利が目前へと迫っていた。
攻め立てられる敵軍の大将はまだ姿を現さない。
幾分興が冷めて前線より離れ、一旦本陣へと戻る。
「腰抜けめ」
不満げな声を吐き捨てると、いつの間にか現れた佐助が隣に居た。
「もうじき終わりますよ」
「お前との鍛錬のほうが余程血が滾る」
「…嬉しくて涙が出そうです」
と、向こうから慌ただしい足音が近付いてくる。
「伝令ー!伝令ーー!!」
俺の元へとやってきた者は、恭しく片膝をつき文のようなものを差し出す。
「信玄様より預かって参りました!」
あいつ…
こんなところに文を寄越すとは。
大して興味を惹かれず、佐助に読ませる。
文を開いた佐助が僅かに息を呑むのがわかった。
「何だ」
「…迦羅さんが、消えたと」
何を馬鹿なー
佐助から文を奪い取り、その書き連ねられた内容を一気に読む。
忽然と消えただと?
一体何処へ消えたというのだ。
そんな馬鹿な話があるものか。
受け入れたくないのか、否定的な感情が湧く。
だが、これは紛れもない事実なのだろう。
迦羅、お前は一体、何処に居るのだ…
湧き上がった不安が胸を複雑に鳴らす。
消えたと言うのなら、俺が迦羅を探してやらねば。
今頃、何処かで泣いているかもしれん…。
「佐助、一気に叩くぞ」
「ええ。早々に終わらせましょう」
「大将など引き摺り出してくれる」
馬のいななきと共に、再び前線へと駆けて行った。
敵を切り裂き、薙ぎ倒し、生温い返り血を浴びようとも、最早この身体には何の熱も感じなかった。
俺の心は、もう此処にはないのだー。
迦羅…待っていろ、迦羅ー。