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【YOI・男主】愚者の贈り物

第6章 第3日目・男子FS(前編)


いよいよ男子FSが開始した。
SP同様、勇利達最終滑走グループは本番までの間、控室や廊下を使って思い思いの時を過ごしていた。
勇利は、廊下の隅でヴィクトルと少しだけ電話をすると、西郡にストレッチを手伝ってもらいながら、今日のFSのプログラム構成について再確認する。
南は、時折勇利の動向に目を輝かせてはコーチに注意されながら、公式練習時に純に教わった3Aのコツを脳裏で繰り返し反芻している。
礼之は、双子の妹に衣装の綻びを繕って貰いながら、両親に叱られる寸前まで、昨シーズンのJGPFで完膚なきまでに叩き潰された『妖精』の異名を持つ選手が出場しているロシアナショナルの映像を、スマホ越しに観戦する。
そしてイヤホンをした純は、膝をマッサージしながら、ただ来たる時を穏やかな気持ちで待っていた。

本当に、戻ってこれて良かった。
最後の最後に、大切な人にこれまで伝えられなかった言葉や気持ちを、伝える事が出来た。
誇るべき同期の活躍を、また次代を担う若者達の躍進を、この目と心に焼き付ける事が出来た。
もう、競技者として思い残す事はない。
後は、全てを出し切るだけだ。
イヤホンから聴こえてくる死に行く父親への手向けを歌った洋楽のサビに合わせて、純も又微妙に歌詞を変えながら小さく口ずさむ。
(僕はただのスケーターや。ヒーローなんかやない、この舞を舞わなあかんかった、それだけの男や)
(僕はただのスケーターや、ヒーローなんかやない、そんなん、どうだってええねん!)

やがて、集合の合図を耳にした純は、ジャージを脱ぐと備え付けの鏡の前で衣装を確認した。
スタンドカラータイプの、前立と袖口部分に銀糸をあしらっているが、それ以外は全て黒のシャツにパンツ、ブレードも黒を使用している純の姿は、完全黒一色な出で立ちであった。
FSの曲を決めた時から、衣装は決めていた。
これは喪服である。
作曲者が「ピストルを自らの頭に向けている人の姿」と称していたこの曲で、今宵僕は銀盤という名の真っ白な葬儀場で、競技選手としての自分を、自らの手で葬るのだ。

「──さあ、宴の始まりや」

勇利達の視線に気付いた純は、心底楽しそうな笑顔を返すと、リンクに向かって悠々と歩き始めた。
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