第1章 プロローグ
「──!何余計な真似しとんねんあのヒゲ…!」
「かつてのセンセ含めて他のコーチからはみーんな門前払い食らっとった中、唯一あんたの面倒見てくれはった人やないの。で?どうするん?」
重ねての問いに、純はひとつ大きく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。
「大学院まで行かせてもろたとはいえ、僕の学生生活もあと1年とちょいや。…やっぱり僕は、自分の決めた事や自分自身から逃げたくない。たとえ叶わんかったとしても、やるだけやってみるわ。僕は、同じ競技者としてもういっぺんあいつと同じ氷の上で会いたい」
「純…」
(ほんで、あの時伝えられへんかった僕のホンマの気持ちを伝えたい。きっと、来シーズンの全日本選手権が最後の…)
「そやし、お母ちゃん。親孝行は僕が卒業するまで待っててくれへんか?」
「アホ。私もお父ちゃんもまだまだ元気やし、お姉ちゃん達もおるから、誰も最初からあんたになんて期待してへんわ」
ジャージに着替えてロードワークに出かける息子の背中を見送りながら、母親はどこか嬉しそうな表情をしていた。
それから約1年後。
ヴィクトル・ニキフォロフをコーチに迎えた勝生勇利がGPSで奮闘する一方、全日本選手権の予選にあたる西日本選手権に参戦していた南健次郎は、そこで思わぬ人物を目撃した。
「う、嘘…あんたは、まさか…?」
驚きとも興奮ともつかぬ声で呟く南に、その人物は口元に僅かな笑みを浮かべる。
他の参加者よりも明らかに年長者にあたるその人物は、ジャンプの着氷時に多少乱れがあったものの、それらを充分補える程の柔軟性と表現力で見事全日本へ進出可能な上位の中にランクインしたのだった。
「こ、これは…今年の全日本選手権は凄いこつになる!ばってん、あん2人が何シーズンぶりに戦う事になるんやけん!勇利くんと『純』くん……『西の勝生』と『京の上林』の!」
「南くん、表彰台の上でキョロキョロしない!」
コーチからお叱りを受けた自分の左隣で、笑いを噛み殺している年長者の好意的に細められた黒い瞳と合うと、南はますます頬を紅潮させた。