第2章 犬
「ふぁ〜」
ぷかぷかと浮かぶアヒル。浴槽の湯に溶かされたバスミルクが甘ったるい匂いを鼻腔にかすめていき、心が落ち着いたような気分になる。
アイリーンは右腕をお湯から出すとツーっと左手の人差し指でなぞる。
「お嬢様、湯加減はいかがですか?」
ついたて越しにセバスチャンが湯加減を聞いてくる。彼はいま、バスタオルをもってアイリーンが風呂あがるのを待っている。
「ええ、大丈夫よ」
ーー「きっと彼のことが好きなんでしょ」ーー
ふと脳裏をミアの言葉が通る。
ー私が?セバスチャンを?
ついたてを見ると背格好のいいセバスチャンの影が映っていた。長い手足にがっしりとした胴体。ついたての向こう側にはただの執事が待っている。それだけだ。
「上がるわ」
アイリーンは浴槽から立ち上がり、ついたての方に向かう。
セバスチャンは目隠しをして、バスタオルをアイリーンの体に滑り込ませる。
ふわふわとバスミルクの匂いが漂う。
「ロンドンの犬の件はなにか分かりましたか?」
「なんにも。とりあえずロンドンに行ってみるしかなさそうね」
「かしこまりました」
アイリーンはパジャマを身にまとってセバスチャンの目隠しを解く。
セバスチャンは目を丸くするとアイリーンから目隠しを受け取る。
「どういうおつもりで?」
「別に。ただ早くあなたの瞳を見たかったの」
セバスチャンの目がすっと細められる。その目には悪魔らしい色が宿っていた。
「…さようですか」
「綺麗ないろ」
アイリーンは毛布に足を入れて肩まで毛布をかける。
セバスチャンがろうそくの光を消すと一気に部屋に闇が訪れた。
「おやすみなさいませ」
綺麗ないろをしたその瞳は泥のように深い欲望を秘めていることも知らないで。