第2章 犬
ー…とは言ったものの。
「あああああああどうしようどうしようどうしよう!!」
アイリーンは凄まじい勢いで髪をぐしゃぐしゃにする。荒くなった呼吸を胸を上下させて整えると大きく息を吸う。
でもこの状況が変わる訳でもなく、昨日までの私じゃないわよ宣言は無くならない。
相手は悪魔だ。誘惑を本性として生きる悪魔はこの手のことにはなんの恥じらいもなく、しかも手慣れている。
何百年と生きられる悪魔と違って人間が生きるのを許された時間は何十年ほど。
そう考えると人間は切ないものだ。
冷めきった紅茶を口に含む。ひんやりとした感覚が喉を通る。
ーとりあえず今は仕事しないと。
こんなことで仕事にミスが出てはあの悪魔に笑われてしまうだろう。
あとで悪魔についての文献でも読むとして、今は仕事に集中しよう。
鳩ペンを握って1つ1つ書類に目を通していく。
新商品の売れ行きや考案中の商品の案や全体としての売れ行きなどの報告書などが机の端に積み上げられておりいつのまにかこんなにも溜め込んでしまった。
「お嬢様、失礼します」
こんこんとノックの音が聞こえ、セバスチャンが台車を押してくる。
「ようやくお仕事を始めになさってるようなので、紅茶でも入れ替えようかと思いまして」
「そう…」
セバスチャンがティーカップを持って紅茶をいれる。
「全て終わったらご褒美にキスして差し上げましょうか?」
「い、いらないわ!早く出てって!」
くす、と笑い台車を扉に向かって押していくセバスチャンはふと立ち止まり少し振り向く。セバスチャンの高い鼻に紅茶色の瞳と妖艶に微笑まれた唇がちらりと黒髪からのぞく。
「いつまでも、やられっぱなしじゃないんでしょう?」