第99章 Bittersweet
甘い匂いは、大野さんのほうからしてくる。
何か食べてるのかな。
咀嚼してる気配はないけど。
普段ならもう皆が帰ってる時間。
もしかしたら大野さんは1つしか持ってきてなくて、俺に気遣って音をたてないようにこっそり食べてるとか…。
この位置からは、大野さんが何をしているのかまでは見えない。
それよりも俺は、今しがた想像した“こっそり食べてる大野さん”の可愛すぎる姿が頭から離れなくなって。
想像の中でもかまわないから…
大野さん、俺も一緒に食べていいでしょうか。
俺は口を閉じ、漂っている甘い匂いを鼻腔いっぱいにその取り込んだ。
大野さん、美味しいですね。
これが現実だったら最高だけど、誕生日にこんな風に幸せな気分になれて胸がいっぱいです。
そんな想像をしながら感激に浸っていた俺は、再び手が止まっていたことにハッと気づき、集中集中と心の中で呟いた。
「ん~っ」
最後の行を入力し終えた俺は、両腕を上げて背筋を伸ばした。
「櫻井、終わった?」
大野さんが振り返って俺を見る。
「はい、終わりました」
「んふふ。お疲れ様」
大野さんはそう言って、自分のデスクに向き直ってしまった。
「あの…大野さんの用事のほうは…。それに、さっきからいい匂いがしていて…」
やっぱり気になった俺は、思いきって聞いてみた。
「うーん。用事はね、これから。匂い、してた?」
「はい、美味しそうな匂いがしてました」
「んふふ。そっか」
大野さんがそう言いながら席を立つ。
「櫻井はもう帰れる?」
「はい。帰れますけど…」
大野さんは用事は済ませなくていいのかな…と思いながらも、俺は急いで帰り支度を始めた。
コートに袖を通していると、大野さんが俺のデスクにやってきた。
ドキッとした俺は、思わず視線を落とした。
大野さんの足元には、よく見てみるとビジネスバッグ風なトートバッグが。
そして大野さんの手には、時間的に俺が買いに行くのを諦めたケーキ屋さんの、小さめな箱。
「あれ?大野さん、さっきケーキの箱なんて持ってましたっけ…?」
「あはは。えっとね…こっちはダミーで…」
大野さんはトートバッグに視線を向けた後、
「本命はこっちだから」
ふにゃんと微笑みながら顔の横にケーキの箱を掲げた。