第94章 愛と勇気とサクランボ
Sサイド
二宮先生に言われた言葉が気になりすぎていたのだろう。
大野先生に声をかけられてびっくりした僕は体が跳ねてしまい、その弾みで持っていたファイルを落としそうになったのを、先生が僕ごと受け止めてくれた。
思いがけず抱きしめられ、嬉しくてたまらなくて…素直にその気持ちを伝えた。
大野先生も同じ気持ちだとわかり、嬉しさが増していく。
本当に久しぶりに僕のことを『翔くん』って呼んでくれて…
胸にグッときて泣きたくなったけど、いま泣いたらきっと暫く動けなくなる。
そう思った僕は、大野先生のジャケットを握った手に額を当てることで気持ちを鎮めていった。
「先生、ありがとうございます。もう大丈夫です」
「…ん」
どちらからともなく体を離し、照れ笑いしながら美術室を出た。
ドアを閉める直前、
「ちょっと待ってて」
大野先生が再び美術室の中に入り、石膏像の向きを変え始めた。
大切そうに扱う、大野先生の手と眼差し。
綺麗な顔と体をしている石膏像と、それ以上に綺麗な大野先生。
神秘的に感じられるその光景に…僕はちょっと嫉妬してしまった。
だけど。
僕の中で、何かが変わったような気がした。
「お待たせ」
ドアの鍵をかける先生を、僕は斜め後ろからじっと見ていた。
「どうした?ほっぺた膨らませて」
振り返った大野先生は不思議そうにしている。
「僕…もっと自分を磨いて、一皮剥けますから」
他の人なら意味がわからないかもしれないけど…
大野先生は何か察したように、ふにゃっと笑った。