第94章 愛と勇気とサクランボ
Sサイド
涙が溢れてきた僕を心配してか、大野先生が美術室の中に入るかと聞いてくれた。
先生の手が触れている僕の肩がじわっと熱くなる。
その場で泣いてるのは申し訳なくて、僕はコクッと頷いた。
初めて中に入った美術室は、石膏像やら油絵の道具やらが置いてあって、普段は嗅がないような匂いがしていた。
朝一番に空気の入れかえをするのも何となくわかる気がする。
だけど、不思議と僕には嫌な空間ではなかった。
用意してくれた椅子に腰かけると、大野先生が僕にティッシュを数枚渡してくれた。
ありがとうございます、とお礼を言ってから僕はチーン…チーンと鼻をかんだ。
僕の様子を見ていた大野先生が
「ふふふっ」
と突然笑いだす。
どうしたんだろうと思い、
「先生?」
って声をかけながら、先生の顔をのぞきこんでみた。
ちょっとビクッとした先生の目が真ん丸くなって…
大野先生は年上なんだけど、その可愛らしさにキュンとした。
いつの間にか、涙は止まっていた。
もう大丈夫だと伝えると、先生は思い出したようにアンケート用紙の話をした。
実際には、僕もそのことはすっかり忘れてて…
ちょっと自分が情けなくなりながら、ファイルに触れる先生の手に視線を向けた。
血管が浮き出ていて男らしいのに、長い指はしなやかで綺麗で。
先生の手の動きに見とれてしまった。
「ん?」
「大野先生の手…綺麗…」
「手?そうか?あ、まだ画材に触れてないからかな」
ファイルを僕に手渡した先生は、自分の手を眺めながらそう言った。
「えっと…絵の具がついてるとかじゃなくて…先生の手そのものが…」
「俺の手?」
「はい。指は長いし、骨張っていて男らしくて…好きです」
…あれ?
先生からの返事がない。
あっ。
数秒してから、思わず力説していたことに気づいた。
僕…今、何て言ったっけ…。
“好きです”って言っちゃった…。
手のこととはいえ、“好きです”なんて…。
胸がドックンドックンとしながら、先生の手に向けていた視線を少しずつ先生の顔に向ける。
先生も頬を赤らめながら、僕を見ていた。
「そんなに俺の手が好きならさ、触ってみてもいいよ」
大野先生の手がそっと僕の手に触れた。