第77章 耳をすませば
「大野くん、水溜まりある」
「おっと…」
櫻井と二人、水溜まりを避けながら歩く。
「小学生くらいの時は長靴履いてたからさ。わざわざ水溜まりに入って、ピチャピチャさせて楽しんでたなぁ…大野くんは?」
「してた、してた。長靴かぁ…いつからかなぁ、履かなくなったの」
「中学生くらいじゃなかった?」
「そうだったかもな」
他愛のない話をしながら気づいた。
そういえば俺、櫻井のことなにも知らないな…って。
「櫻井んちってどこ?」
「えっ、知らないのに途中まで一緒に帰ろうって言ったの?」
「あはは、そうかも…それに、もう少し一緒にいたかったし」
「えっ…あ、そ、そうなんだぁ」
耳まで赤くして照れてる…。
「んふふ。可愛い」
「えっ…あっ」
ピチャッ…
俺のほうに目を向けた櫻井が、水溜まりに入ってしまった。
「あ〜っ、靴下まで濡れたぁ」
「大丈夫?」
「うん、何とか…」
足元を気にしながら歩く櫻井。
「櫻井はどこまで帰るの?」
「電車で5駅。帰ったら速攻で靴下脱ぐ」
「そうだな。風邪引くなよ」
「ありがとう…優しいね、大野くんは」
潤んだ瞳でチラッと見るから…思わず手を伸ばしてしまった。
「あの…大野くん?」
頭に置かれた俺の手に戸惑う櫻井と…俺自身。
暫く沈黙が流れる。
愛しくてたまらないのに。
“引っ越し”という言葉とすっかり暗くなった空が不安を煽り、胸をソワソワさせていった。
「櫻井、いなくならないよね…」
街灯の少ない道。
すれ違う人の顔もかなり近くに来なければわからない状況。
「大野くん…?」
俺は俺より少し背の高い櫻井の体を抱きしめていた。