第3章 この本丸には嘗て鬼が居た
安定君が突如声を張り上げたかと思えば、瞬く間に体に衝撃が走った。肩を突き飛ばされ、派手に尻餅をつく。鈍いじわりとした痛みが侵食してくる。その痛みに呻く間も無く、胸倉を掴まれた反動で頭を強(したた)かに打ち付けられる。
「あっ、がぁッ…!」
「安定!お前何を!!」
私より大きな安定君の両手が首を絞めてきた。
「お前っ、清光に何をした!洗脳か?!まさか、“前のやつ”みたいに神通力でも使ったのか?!」
安定君の問いの中身を理解しようとするも、頭が靄が掛かったように不透明で考えが及ばない。彼の親指は気管を押し潰す勢いで力を込めて来る。腕を退けようと試みるも、当然無駄だった。
「やめろ安定ッ!やめろっ、やめてくれッ!!」
「清光を元に戻せ!!この人でなし!!」
彼の手に更に力が込もる。呼吸する度に笛に似た音が漏れる。息が出来ない。苦しい。死ぬ。死んでしまう。
「やめろ!違うんだ安定ッ!!」
清光が安定君を引き離そうとするが、我を忘れているのか安定君は清光も突き放した。その衝撃で清光は壁に頭を打ってしまう。
「清光は人間なんかに従わない…あんな目になんか、二度と遭わせない…っ!!」
独白のような言葉が耳を掠める。歪んだ視界の中、安定君の目だけが爛々と怒りに燃えて光を帯びている。顔全体が真赤に色付き、噛み締めた歯の隙間から獣の様な吐息が溢れている。
殺意を持った人間が人を殺そうとする姿はこんなにも恐ろしいのか。本物の殺意に充てられた事などなく、それだけで恐怖が増していく。彼のすらりと綺麗な長い指が、刃物の如く鋭い爪を生やした鬼の様に感じられる。
いや違う。彼は、今まさしく、鬼なのだ。
深い憎しみが 鬼へと変えてしまった。
誰が彼を、─────“彼ら”を 責められようか。
視界が光に包まれたような乳白色に染まっていく。意識が掠れていく。あ、私死ぬんだな。漠然とそう思った。今ここで安定君に殺されても、それは仕方の無いことかもしれない。これは私達 人間の責任だから。薄れゆく意識の中で、清光の悲痛な叫びが幾度も聞こえる。
『あるじ』 『やだ』 『死なないで』
清光。死ぬことは不思議と怖くないけど、またあなたに辛い思いをさせてしまう事が何より悲しい。ごめんね清光。
ごめん、ごめんね。