第3章 偉大なる双璧
夜、歓迎の宴も終わり静かになったモビーディック号。
その甲板を、軽く小さな足音が密やかに移動していく。
艶やかな黒髪を、煌煌と照る月と時折吹き抜ける風が、夜の闇にも閃かせた。
まだ幼い沙羅は、自分の宴の途中で眠ってしまった。
気がつけばベッドの中。もう一度眠ろうと試みるも、目覚めた頭は目まぐるしい一日を思い出し、目は冴えていくばかり。
両親がいない夜は初めてだった。
宴も、
船に乗るのも、
たくさんの人と接することも、
何もかもが初めてだった。
“海が見たい”
ざわつく気持ちを落ち着けるように、部屋を抜け出し甲板に向かった。
船の手摺りに手を掛けると沙羅はぴょんと飛び上がり、そのまま腰掛けた。
眼下に広がる夜の暗い海。大抵の子は恐怖を感じずにはいられないだろう。
しかし沙羅にとって海は友達であり、母であり、自身でもあった。
「ー♪ー♪~♪♪~♪~~♪」
小さく歌い始める沙羅。
『母(カア)さま、何のお歌?』
『海を綺麗にするお歌よ』
嬉しそうに母、ユエが海で口ずさむメロディーを物心つく前から聞いていた沙羅もまた、その歌を気に入っていた。
歌うことに夢中になった沙羅の声は、次第に大きくなり風とともに流れていく。
「・・・?」
聞き覚えのあるメロディーに誘われて、宴の片付けを終えたマルコは甲板に足を向けた。
「♪~♪♪♪ーーー♪~」
「・・・っ!」
満月に近い十三夜の月が、沙羅を照らしていた。
表情を見ることはできない。
だが、漆黒の艶やかな黒髪が、月の光をうけて青白く輝く白い肌を引き立たせていた。
切なくも神秘的なメロディーに合わせて、月と戯れるように伸ばされる華奢な腕。
その美しくも、犯しがたい清らかな姿。
それを食い入るように見つめるマルコの瞳には、対極的な“欲”という名の“色”が浮かぶ。
体の中心が熱を持ち始め、マルコは生唾を“ごくり”と飲み込んだ。
「・・・ッハァ・・・」
欲情した自分を持て余し、小さく短く息を吐く。
女を知らないわけではない。
島に降りれば、適当に遊ぶ。
好みもない、欲さえ吐き出せれば誰でもよかった。
だが・・・
彼女が、“沙羅”が欲しい
特定の誰かを欲する。
嫌われることに慣れきったマルコには、まだそれが何なのか気づくことができなかった。