八つ葉の魔導書(グリモワール)【ブラッククローバー】
第17章 ページ17、二人きりの時間
そうして…
心を開いてくれたのはきっと
当時、私がした行為が真心からのものだと感じ取ったからこそだろう。
当時の私は、ただただ心配だった。
どうにかしてやりたかった。
学校に行きつつも、どうしても気にかかっていた。
ただ一人で閉じこもって、何を言っても反応を示さないで
近付くと怯えたように身体をびくつかせるばかりだった。
人に対する恐怖心が、何年にも渡って植え付けられた。
一番の被害者は、その「長年の事象」で「人と純粋に向き合う心」を失った彼女だ。
そう私は幼いながらに思った。私はそれを、今でも鮮明に憶えている。
その機会を奪われた。人と接することは恐怖以外の何物でもないという、人為的に造られた環境によって。
いじめをする側とされる側、どちらが悪いかという議題が今でもある。
いじめのきっかけは些細なものだろう。
だが、きっかけが何であれ何日も続ければ…何年も続けば…
孤立させられるのが当たり前という環境が続けば…
人へ話しかける際に声が出なくなるといった事象を伴うにまで至った彼女の方が、被害はさぞかし甚大のようにうかがえる。
おまけに人との関わり方を見失い、一人でいる以外の生き方が分からなくなるといったことまで起きている。
だから私は、理由はどうであっても、多人数で一人をいじめるという行為は「する側が悪い」と考えてしまう。
周囲にとっては、誰かが隣に居て、相談できるのも、話ができるのも、友達がいるのも当たり前。
だが、彼女にとってはそういった存在はおらず、一人で立ち向かうしかない。
それを寄ってたかって傷付け続ければどうなるか。
支える人もおらず、相談相手もおらず、助けを求めることさえも悪いことだとされた。家族においても父からDV、母や姉に相談できる環境でもない。一人で抱えるしかない。
そんな状態では…
言うまでもなく、自身を殺す以外の選択肢はない。人の反応に怯え、傷付けないよう気を付ける以外にできない。
その人の反抗できない優しさを利用して、踏みにじって、傷付けるだけでは飽き足らず、殺すだけでも飽き足らず…
その人が持っていた、当初の希望に満ちた明るささえも殺し、命をも奪うことにもなる。
「いじめ」とは…
「一時で命が失われる殺し」よりも遥かに惨い行為だと、私は思う。