第8章 今吉翔一・牛島若利 【R18】
うちの会社にはふたつの派閥がある。
いや、誤解のないように言っておこう。
それはもちろん政治の世界のそれではなく、かといって社長派か副社長派かというような社会派ドラマの類でもない。
「ねぇねぇ!今日の牛島課長のネクタイ見た?淡いパープルがクールな瞳に映えて、もう素敵なんていうレベルじゃないんだけど!」
「それよりも私、今朝エレベーターで今吉課長と一緒だったんだけど、『おはようさん』ってあの声で挨拶されて、そのまま天に召されるかと思ったわ!」
声なら牛島課長の低音ボイスの方が何倍も素敵よ!何言ってるの!今吉課長の眼鏡越しの視線に勝るものはないんだから!と戦場と化す空間に、結は迷いなく足を踏み入れた。
「いつまで休憩してるの。ほら、そろそろ席に戻りなさい」
頭から湯気を出す女性社員達が、それぞれの自論を振りかざす光景はもうめずらしくもなんともないが、ここは喫茶店でも、ましてや居酒屋でもないのだ。
今いいとこだったのに……とあからさまな批判の目を軽く受け流しながら、結は自動販売機に数枚の硬貨を流し込んだ。
牛島若利と今吉翔一
入社当時から頭ひとつ抜きんでていたのはその身長だけではなく、圧倒的な存在感と、それに負けないポテンシャルの持ち主であるということ。
彼らと同期入社だったというのは、果たして運が良かったのか悪かったのか。
羨望と嫉妬が入り混じった複数の目を浴びながら、だが同僚として彼らの隣で過ごす時間は、それらを忘れさせてくれるほどに居心地のいいものだった。
王者の風格を有しながら、どこか天然で、素直に人の助言を受け入れる柔軟さを持ち合わせる牛島も、独特のイントネーションで、いつの間にか周囲を自分のペースに巻き込んでいく巧みな話術を有する今吉も。
仕事のできる同僚として、そして魅力的なひとりの男性として、悔しいが彼らのことは認めざるを得ない。
「さ、仕事に戻りますか」
静かになった休憩室で、わずかに残ったコーヒーを飲み干すと、結は雑念を振り払うように手の中の紙コップを握りつぶした。