第29章 ○○のような存在(黒尾エンディング)
黒尾さんが混ざる団体客の横を通った時、その姿を見て頭の中で声が響く。
‘嫌な事は嫌って言え。’
それは間違いなく黒尾さんの声で。
同居していた時から何度も言われた、拒否をする事を教えてくれた言葉。
「…嫌。」
足を止めて、呟くように声を押し出す。
聞こえなかったのか、男は不思議そうに動かない私を見ていた。
「嫌だ。行かない。」
手を振り払って行動でも示す。
今度ははっきりと相手の目を見て言葉にした。
こんなに沢山の人がいる中で拒否されて、恥をかかされている男は眉を寄せて明らかな怒りを表している。
「そんな顔しても、行かない。」
断った方が面倒だとか、そんな事で諦めたら昔と同じだ。
「鞄、返して。」
絶対についていかない、と意思を伝えて手を出した。
それでも、諦めが悪い男は私の鞄を上にあげる。
私より背丈は高かったみたいで届かない場所だ。
鞄を取り返すのは諦めようか。
中身は財布と手帳が入っているから、それは無理だ。
睨むように鞄を見ていると、男の手からそれが取り上げられた。
「無理強いは良くないんじゃね?彼女、嫌がってんだろ。」
いつの間にか男の後ろに立っていた黒尾さん。
未だに他人のフリは続いているようだ。
関係ないだろ、と黒尾さんに噛み付き始める男。
こういう、すぐに行動を起こすタイプが口で黒尾さんに勝てるとは思えない。
案の定、言い負かされて店を出ていく姿を見送った。
男の撃退は成功したので、鞄を返して貰えるだろうと手を伸ばす。
その予想は裏切られて、私の鞄を持ったまま黒尾さんは自分の席の方に戻った。
同僚だか友人だか分からないけど、一緒に飲んでいた人達と何やら会話をしてから再び私の元に来る。
「帰るぞ。」
一言だけ発して先に店を出ていく黒尾さんを慌てて追い掛けた。