第8章 いってらっしゃい
翌朝、誰かに揺すられて目を覚ます。
自分の部屋でちゃんと寝ていて、少し驚いた。
起こしに来た人は赤葦さんだ。
彼の話によると昨日、お風呂から出てリビングに戻ったら私はテーブルで寝ていたそうだ。
何があったかは分からないけど、取り合えず私を運んでくれたらしい。
「有難うございます。それで、あの…。」
「きとりさんなら、もう出たよ。りらは起こさないでくれ、って。」
お礼と聞きたい事を口に出そうとすると、先を読んで答えてくれた。
慌てて布団から出て時計を確認する。
「朝ごはん作れなかったらすみません。いってきます。」
飛行機の搭乗時間まではまだ少しの余裕があった。
タクシーなら間に合う。
家を飛び出して、タクシーを止めた。
私は伝えていない。
居場所を作ってくれて有難う、と。
いい人達と出会わせてくれて有難う、と。
タクシーに乗っている時間は長く感じた。
空港に着くとすぐに搭乗口を確認して走る。
そこには、きとりちゃんがいた。
他の誰も見送りは来なかったらしい。
「…りら。」
私を確認して驚いた顔をしていた。
「アンタをみたら、いってきます、って言っちゃいそうだから起こさないようにしたのに。」
困った顔で私を眺めている。
「なんで、いってきます、って言わないの。」
「きっと、私があの家でまた暮らせるのは、皆が就職とか、結婚とかして家から出ていった後になると思う。おかえり、を期待するのは辛いから。」
問いには悲しい答えが返った。
「そっか。…私ね、きとりちゃんに有難うを言いに来たの。居場所を残してくれて、皆と出会わせてくれて、有難う。」
自分の用事を済ませた時、搭乗時刻を告げるアナウンス。
きとりちゃんは、柔らかく笑って歩き出した。
「私が言う。…いってきます、を期待する言葉。だから、おかえり、を期待して…返してくれないかな。」
こんな我儘を自分が言うとは思わなかった。
立ち止まって私を振り返った彼女に、泣きそうな顔を見られないように下を向く。
「いってらっしゃい。」
不機嫌な訳じゃないけど、無理矢理笑って顔を向ける。
「…いってきます。」
潤んだ目から見えた彼女も泣きそうで、それ以上は何も言わずに見送った。