第1章 朝焼けの声
「何か悪い夢でも見ておったのか?」
湯気が立つ室内。
冷えた部屋に熱い湯があればたちまち浴室の中は白く濃い霧がかかったようになる。
「御主があそこまで魘されているなど、初めの時以来ではないか。」
磨り硝子から射し込む光が空気中の霧を反射させ、空間全てが白く輝いていた。
「それが、覚えておらぬのです…夢を見ていた気もいたしますが、それより何か、聞いたような……。」
何だったか、思い出そうとすればする程に、記憶は霧がかり消えていく。
「何かを…そう、声でしょうか。きっと、何方かの声を聞いたのだと。」
「声、とな…?鶴丸が起こしていたのとは別か?」
鶴丸の声は起きる寸前の事だ、それとはまた違うものだ。
考えれば考えるほどに答えは遠退いていく。
誰の声で、何を言っていたのか……。
答えの出ない苛立ちに頭から熱い湯を浴びた。
濡れた髪が体にまとわりつく。
髪を伝い流れていく湯の様を、静かに三日月が見ていた。
「……俺達刀剣男子というものは言わば付喪神…神とはいえ人成らざるもの故に、夢を見ること自体そうあるものではない。余程の理由がない限り、見ることはない筈なのだ。何かの予兆か、啓示でも告げられたか…。果たして其が夢なのかは分からぬ。その言葉が最も適している為に夢と呼ぶ。故に、我らの夢は人の夢とは相異なるものであろう。」
浴室に嫌に響く声が、妙にその言葉に深味を持たせる。
気が付くとすぐ背後に来ていたその声の主にハッとして振り向いた。
「何か、心当たりはあるか?小狐丸……御主は他に何を覚えておる?」
私を見上げる瞳。
白く、白く光る湯気に包まれながらその鋭い輝きを決して衰えさせることの無い、瞳の中の三日月は私を捉えていた。
「いえ…他には、何も……、。」
「そうか、何も覚えてはおらぬのだな?」
その言葉に、私は頷くだけだった。
三日月は、希にこういった表情を見せる事がある。
そうなれば私は蛇に睨まれた蛙の如く身動きが取れなくなるのだ。
三日月が視線を私から逸らすと、途端に解放されたかのように緊張が解れる。
ドクドクと、心臓が高鳴っていた。
冷や汗でもかいた気分になる。
今一度湯を浴びて気を取り直そうと、浴槽にはられたお湯を掬おうとして、手が止まった。
水面に映るのはなんとも間の抜けた私の顔と、その後ろで小さく笑みを浮かべた三日月だった。
