第2章 ダスヴィダーニャ!涙の引退宣言!
「なんて、こともあったっけ」
グランプリファイナル最終日。
フリー滑走を待つヴィクトルは、懐古を声に乗せてつぶやいた。
ヴィクトルは独り言のつもりで言ったのかもしれなかったが、徹は同意を示す微笑みで応える。
徹も彼と同じように、コーチになったあの日のことを回想していた。
シーズンが始まると日々が過ぎるのはあっという間で、気づけばグランプリファイナルの最終滑走。
ヴィクトルと喧嘩しながら注文した衣装は、やっぱり彼によく似合っていて、徹は自然と微笑んでしまう。
ひとつ前の演技が終わり、歓声が場内に反響する。
リンクサイドに立つヴィクトルは、リンクを背にして徹へ向き直る。
スケート靴を履いている分できた身長差を埋めるために、ヴィクトルは少しだけかがんで、徹の額に自分の額を重ねた。
「いってくる」
「うん」
二人の距離の近さに黄色い声が飛び、カメラというカメラが二人をとらえるが、集中力が途切れることはない。
ヴィクトルと徹は完全に、二人だけの空間を構築していた。
エッジカバーを徹へ託し、皇帝はリンクに降り立つ。
走り出す前にもう一度徹の方を振り返り、微笑みをひとつ。
そこからはいつものルーティーンだ。
徹がヴィクトルの手を取って、恭しく甲へ口づけを贈る。
皇帝へ傅く従者のようなこのやりとりで、ヴィクトルはいつもスイッチを入れる。
やわらかな表情から、常勝者たる冷酷さと美しさを備えた顔へ。
「俺から目をはなすな」
「Yes, Your Imperial Majesty」
徹は名残惜しそうに、離れていく手を見送る。
静寂が場を支配し、音楽が流れだすまでの数秒。
会場全体が息を詰める。
そして、奇跡のプログラムは始まった。