第2章 ダスヴィダーニャ!涙の引退宣言!
めのまえがまっくらになった。
ゲーム以外でこんな表現を自分が使うことになるなんて、考えたことはなかったけれど、徹は初めて、この言葉の存在に感謝した。
進退窮まってどうにもならなくなったとき、人間は目の前が真っ暗になるというのは、どうやら本当らしい。
徹がなくしたのは十全な脚の機能だけだったはずだが、視界は暗い。
サンクトペテルブルクの夜景が、こんなに薄暗く憂鬱なものだということを、徹は初めて知った。
雪に沈む夜景は本当に美しく、練習終わりの徹の心をいやしてくれたものだが、今はその輝きも妬ましくて仕方がない。
あんなふうに、自分はもう輝けないのだ。
欄干に頬をあてて、徹は昼間のリンクでの宣告を回想する。
そうするしかないということは、徹自身、とっくにわかっていた。
解っていたのだ。
けれど、それを受け止める勇気はなかった。
じわりと視界がにじんだ。
頬を滑り落ちたしずくが、欄干に積もる雪をほんの少しだけ溶かして消える。
「トール?」
今一番聞きたくない声を、徹はわざと聞こえないふりをした。
低くあまやかな声。
この国の誰もが彼を「トール」とやや舌ったらずに呼ぶが、彼はさらに甘ったるく、舌ったらずに呼ぶからすぐに分かる。
「トール、聞こえてるんだろう?」
数回呼ばれたのを無視していれば、さすがに故意に反応しないことを悟ったか、彼の語気が強くなる。
それすらも聞こえないふりをしていると、強く肩をつかまれて振り向かされた。
街灯のオレンジに照らされる銀髪と、ターコイズブルーの瞳。
生ける伝説、ヴィクトル・ニキフォロフその人がいた。
世界的に有名な彼だが、会ったからといって別段驚くことではない。
ここは彼が住む町で、徹にとってヴィクトルはリンクメイトみたいなものだ。
今朝も何気なく挨拶を交わしたし、徹が宣告を受けたあの瞬間にも、視界の端に彼がいた。
ヴィクトルは無理やり振り向かせておいて、自分の方が傷ついたような顔をする。
また相手の瞳の中に映る情けない自分を見るのが嫌で、徹は思い切り顔をそらした。